「感動をありがとう」って言葉、最初に考えた人はいまどうしているのでしょうか。
どこの誰だか知らないけど。でも20年前には使わなかった言葉だし、おそらくテレビから出た言葉だろうから、まだ現役のテレビ屋さんかもしれません。最初にしゃべったときは「お、ちょっと変わった言い回しだぞ」と思ったんだろうけど、こんなに陳腐化するとは思ってなかったんだろうなあ。
現在この言葉がこれだけ便利に使われるようになったというのもちょっと不思議です。スポーツの世界だから勝ったら「おめでとうございます」、負けたら「残念でした」で普通に締めくくればよいわけで、あまりこの言葉が広まる要因はなさそうなんですが。
待てよ、勝っても負けても使えるから準備が楽というメリットはあるのか。しかし裁判だって「勝訴」「一部勝訴」「不当判決」とかいろいろ垂れ幕用意しているのに、テレビ局がその程度の準備を惜しむとも思えないがなあ。
「
日本の標準タロウ」今週のテーマは「
趣味を答えるとき」です。
「日本の標準SR」第95回でスパゲッティを食べるときにスプーンを使う習慣について質問しましたが、本場イタリアでの習慣についてお便りをいただきました。
Yoshi-sanさんのお便り
数年前に東京のイタリア大使館に直接聞いてみました。丁寧な返事をいただきました。
結論を先に言いますと、イタリアでは一般的にはフォークだけでスパを食べるそうです。しかし観光都市にあるレストランでは非スパ文化圏の人のためにはじめからスプーンをつけておくそうです。生粋のイタリア人でスパ文化になじんでいる人がスプーンとフォークを使って食べているとすれば、それは非常に奇妙に見えるということでした。
しかし古いイタリアの記録映画を見ていたらシチリアの貧困層の人がスプーンとフォークを使ってスパを食べていました。地方により様々なマナーがあるようですが、一般論でいえばイタリア人はスパをフォークだけで食べるということです。
ただイタリア人は外国人にたいしてはきわめて寛容な態度で接するので、スパをフォークで食べたからといって目くじらをたてることは絶対にないそうです。これは複数のイタリア人の弁。
なるほど、Yoshi-sanさんどうもありがとうございました。
今週の「
日本の標準タロウ」は「
初恋の頃」です。
「
屋根の上の新聞読み」に「
アジマヨ」「
商品と賞品の落差」を追加しました。
忘年会シーズンになると終電近くでもラッシュ時なみの混雑になります。
その日も混んでました。その電車に二歳くらいの男の子が父親に抱かれ、母親と一緒に乗ったのです。
車両の中は体を支えるのがやっとの状態。男の子はついに泣き出してしまいました。
「はだかになりたい、はだかになりたい」
親たちは子どもをなだめすかします。でも男の子は泣きやみません。
「はだかになりたい、はだかになりたい」
まあ好意的に解釈するならば、彼としては折から強まった冬の寒さで重ね着させられていたところ、急に満員の中に押し込まれたので「暑い」ということが言いたかったですが、いかんせんまだ年若く抽象的な表現に慣れてないので直接的な表現になったのではないかと思います。
とはいえこれ親はつらいっすね。ただでさえ周囲の目が気になるのに息子はシュールなこと言い出すし、父ちゃん情けなくって涙でてくらあ、だったことでしょう。
今週の「
日本の標準タロウ」は「
なりたくない職業」です。
今週の「
日本の標準タロウ」は年末年始スペシャル、「
年間募金額」「
自分の奥さん」二本立てです。
奥さんと言えば、私の留守中に電話があり妻が出ました。
「佐野さんの奥さんでいらっしゃいますか」
「はい」
「実は結婚のご紹介の電話だったのですが、ご不要のようですので失礼します」