新東京百景
寿限無の墓
鈴木寿限無は1799年(享和2年)、神保町(現在の東京都千代田区)で生まれた。
言うまでもなく寿限無は通称であり、幼少時の長い名前での苦労は後に落語
「寿限無」でよく知られるところである。
成人した寿限無は父の跡を継いで大工になったが、1897年(明治30年)98歳で亡くなった。名前通りの長命であった。
彼は四谷の法眼寺に葬られたが、その墓は33メートルに及ぶ当時としてはもちろん現代でも類を見ない高層の墓となった。天気の良い日には上野辺りから
もその姿を見ることができたという。
彼の墓は長命にあやかりたいという参拝客で引きも切らず、一周忌の1898年
(明治31年)には名人三遊亭円朝が墓前に落語「寿限無」を奉納するなど、一躍東京の新名所となった。
関東大震災の際も大きな被害を受けずに済んだが、惜しむらくは東京大空襲
で被災し、ちょうど「やぶらこうじ」と「ぶらこうじ」の間の辺りが大きく欠け
、危険であるため取り壊された。
今年寿限無没後100年を迎えるにあたり、曾孫に当たる鈴木亜氏の協力を得てここに寿限無の墓の復元図を掲載する。
鈴木亜氏談
- 当時よく幼心に思ったんですけどねえ、普通お墓って名字を書くんじゃない
かなって、どうなんでしょうねえ。
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