著者紹介

いつも大型小説をご愛読くださいましてありがとうございます。
おかげさまを持ちましてわたくしゐんばは、明治時代のウェブ作家「佐野祭(さのまつり)」 の名を襲名、2001年1月より二世佐野祭を名乗ることになりました。
ウェブ界の大名跡「佐野祭」は実に60年ぶりの復活になります。
初代佐野祭は日本初のウェブ作家として明治後期に活躍、ホームページの先駆者として後世のウェブ界に大きな影響を与えた人です。先代の人となり、偉業につき ましてはただいま執筆中の「新 種のあひる 〜初代佐野祭の生涯〜」にて詳しく語っていきたいと思っております。
わたくしまだまだ若輩者ではありますが、二代目佐野祭として先代の名を汚さぬよう今後ともより一層精進してエンタテイメントウェブを究めてゆく所存でござい ます。
今後ともより一層お引き立ての程お願い申しあげます。

略歴

1986年頃
小説現代新人賞に「千手観音たちの秋」(のちに改題して大 型近未来小説「手」)を投稿。二次予選まで残るがそこまで。なぜ小説現代だったかというと既定枚数が30枚で一番短かったからだが、それすら 青息吐息。自分はもっと短いものの方が合ってるのではないかと思いはじめる。
ちなみにこのとき私のパソコンは8ビットマシンで、漢字が出なかった。
1987年頃
大型小説を書き始める。とりあえず友達に見せたところウケる。
1988年12月
やっと漢字の出るパソコンを買い、パソコンネットPC-VANに加入。 「ア マチュアライターズクラブ(AWC)」 を見つけ、これはよいものがあったと挨拶もなしに大 型歴史小説「風前の灯」発表。ネットワークで作品を発表する最初である。
1991年7月
モスクワに行ったきり失踪した前任者の後を受け、AWCのOP就任。OPとは正式には主宰者といい、早い話が幹事である。ちなみに「OP」は「オ ペ」と読む。
1996年1月
創作意欲がわかないため刺激になるかなと思い、ホームページ「ゐ んばの大型小説の世界」開設。当時の環境はWindows3.1でモノクロのノートパソコンのため、「理論的にはこういう色になるはずだ」で 色を付ける。
1996年12月
この年のボーナスでパソコンを買い、やっと画面に色が付く。
このとき一緒にデジカメを買おうかスキャナを買おうか迷ったが、当時のデジカメは解像度がいまいちだったのでスキャナにする。この選択が後にネット運命を分けるとは気がつくよしもない。
1997年1月
CGIに手をつけ始め、習作の意味もかねて大型戦国 ゲーム 「川中島」発表、一部に受ける。
1997年2月
小説だけだと更新が頻繁に出来ないため(当時は更新するホームページがよいホームページだと純粋に信じていたのです)、追加の企画を考える。
当時私はよく新聞のお間抜けな記事を見つけては面白がって妻に話していたが、妻はあまり興味を示さず、チクショウと思っていたところそこにスキャナがあったので「屋根の上の新聞読み」スタート。
最初は大型小説のおまけページだったが、「ahoo! ナビゲーター(?)」に取り上げられたのをきっかけにだんだん人気が出てきて、看板ページとなる。
1998年2月
CGIで他のサーバのページを表示する研究をしていて、画像のURL変換が面倒くさかったためとりあえずそこいらにある画像を表示させたらその方が 面白かったので、「猫になれ」発表(ただいま停止中)。当初は画像を変換する機能しかなかったが、言魔上人が「できるもんならしてみやがれ!」と自らのテキストだけのページを推薦してきたため、「な」を「ニャ」に変える機能を付けて対抗。それ故にもともとは画像変換のページだったにもかかわらず「言語変換系」と呼ばれることになる。
最初はアクセスが少なく、作っている側も勝手に遊んでくれるから更新しなくていいから楽だくらいの気持ちで置いておいたのだが、言語変換系中興の祖 「世界幼児語化計画」のブレイクによりほとんど引きずられるようにアクセスが増える。
1998年7月
人は一 回にトイレットペーパーを何センチ使うのだろうかというのが知りたくなり、アンケートページが作れないかなと思っていたところ、Ms.Kさん からメールがあり、バ イアグラで死ぬ高齢者が増えていてまさに究極の選択となっているという。
「試しにアンケートでもとってみたらいかがですか」の一言にそそのかされて新コーナー「日本の標準」開始。
1998年11月
「猫になれ」に来た推薦、「ふざけるな、アメリカ人」のいまなお白人による黒人差別が残るという話を読んで、どうしても「人」を「猫」に変えたくなったため機能追加。「エ クストラバージョン」としてリリースする。
2000年11月
日本の標準」に「自分は標準的か」という質問が来て、 「最終回みたいですね」とみんなに言われたので仕方なく最終回にする。代わって「日本の標準SR」が始まる。
2001年1月
二代目佐野祭襲名。
2001年4月
光デパートやゆよ義眼各氏と共著で「大嘘新聞」 (新潮社)出版。
2002年9月
なんとなく改編期であったため「日本の標準SR」 に代わって「日本の標準タロウ」が始まる。いままでも改編期はあったはずだがなんで変わらなかったのかは不明。
2005年10月
いままでの日本の標準シリーズから選りすぐったネタで「日本の標準」(21世紀BOX)出版。
2008年4月
借りていたサーバが復旧困難に陥ったので引っ越しついでに「日本の標準タロウ」終了。いままでSR、タロウと続いたのでS、T、次はUであろうと「日本の標準ユナイテッド」が始まる。
2012年9月
日本の標準ユナイテッド」終了。
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