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「生え際は……ないですよね」手児奈がつぶやいた。
「そう……ですね」杉野森が答えた。
 議場は再び重苦しい雰囲気に包まれた。
 沈黙を破ったのは手児奈だった。
「やはり、まず、ほんとに人間の場合も額の上限は生え際なのか、ということから見直さなければならないと思うんですよ」
「でも、それは疑いようのないところなんじゃないかなあ」と答えたのは杉野森である。「だんだん後退してきた人に対して、『おまえ、額が広くなってきたなあ』とかよく言うじゃないですか」
「でも例えば、こんなところに個人名を出してなんですけど、横山ノック知事いらっしゃいますよね。あの方の生え際と言ったら頭の後ろですけれど、頭のてっぺんを額とはいいませんよね」
「それはそうですが」
「ですからね、何か生え際とは別に額の上限の定義があるんじゃないかと思うんですよ」
「それは何なんですか」
「それは……」
 手児奈は沈黙してしまった。
 杉野森は腕組みしている。松本議長はしきりに資料の山をひっくり返している。
「思うんですけど……」口を開いたのは手児奈だった。
「はい」
「本当に猫には額があるんでしょうか」
 杉野森は手児奈の顔を見た。松本議長も資料をめくる手を止めて手児奈を見た。
「これだけ定義を考えても見つからないということは、猫に額があるというのは気のせいで、ほんとは猫には額がないんじゃないでしょうか」
「いや、そんなことはない。猫には額があります」杉野森が言った。「例えばこの目と目の間の上の部分、ここは明らかに猫の額です。ところがこの耳と耳の間、ここは明らかに猫の額ではない。ではここは猫の額か? ここはどうか? と一つ一つつぶして行けば、おのずと答えははっきりすると思うのです。横綱審議委員会としては早急に結論を出さなければならない。ところで」杉野森は資料をめくっている松本議長に話しかけた。「なんで横綱審議委員会が猫の額の範囲を決めねばならないんですか」
「しょうがないでしょ。あ、あったあった」松本議長の手はとある資料で止まっていた。「ここに江戸時代の蘭方医藤崎良軒が書いた『額と頭の見分け方』という本があります」
「そのまんまじゃないですか」
「えーっと、目を大きく見開き眉毛を上に持ち上げるべし。そのとき皺がよる部分が額、よらない部分が頭なり」
「なるほど」三人は額に皺をよせてお互いの顔を見比べた。
「じゃあ、猫でも同じことですね」手児奈がうなずいた。
「猫の皺」
 議場は重苦しい雰囲気に包まれた。
「思うんですけどね」杉野森が言った。「私、猫には額がないような気がしてきました」
「でしょ? そうなんですよ、やっぱり」手児奈が相槌をうった。
「私もそう思います」松本議長が言った。「では、猫には額がないということで、今月の横綱審議委員会を終わりたいと思います。どうもありがとうございました」

     [完]




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