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「君っ、市の公報を読まなかったのかっ」
「は?何、公報って」
「いま、長野の寒さを世界に知らしめねばならないのです。軽装で出歩いてはいかんのです」
「え?だって、こんなに暖かいし、」
「ええい説明は後だ。手児奈君」
「はいっ」
 手児奈はかばんの中から予備のコートと帽子を取り出した。
「長野オリンピック招致にご協力お願いしまあす」
 弥三郎がすかさず男を押さえ付け、手児奈が帽子をかぶせる。
「なにをするっ」
 男の腕をとりコートを着せる。
「OK。それでこそ寒冷都市長野にふさわしい姿です。ご協力ありがとうございました」
 弥三郎は男と握手した。そのときである。
「オー。ヒーイズクレイジー」
 なにやらIOC委員の一人が何かを指差して叫んでいる。
 ほかの委員に善光寺の説明をしていた喜三郎はその声に振り向いて呆然とした。
 弥三郎と手児奈もその指の示す方向を見た。そこにはセーターを脱いだ半袖シャツ姿の若者が立っていた。
「まさか……」手児奈がつぶやいた。「いくら暖かいと言っても、冬の長野ですよ」
「オリンピック招致反対派か」弥三郎が様子をうかがう。しかし、どうもそれにしてはビラを配ったり演説をしたりする準備もなさそうだ。
「そうか」弥三郎は冷却装置を指差した。「あそこ、ちょうど裏側なんだ」
「どういうことですか」
「委員の側に冷たい空気をひたすら送り込んでるんだ。当然反対側は室外機にあたる部分があって、むちゃくちゃ暑いんだ」
 ほかの委員たちもこの男に気がつき始めた。そして口々に「なんだねあれは」「どうしてあんなやつがいるんだ」と騒ぎ始めた。「いや、これはですね」といったものの後の言葉が続かない喜三郎。
 どうしたものかと辺りを見回す弥三郎の目に、門前の土産物店にバケツがおいてあるのが目に入る。
「よしっ」
 バケツに水をくむと、弥三郎は駆けていって半袖男に頭からかけた。男は何が起こったのかわからないでいる。
「さあご一緒に、マカハンニャハラミタシンギョ」
「なんなんだあんた」
「拝めっ! ギャテイギャテイハラギャテイ、ハラソウギャテイ」
 その成り行きを見ていた喜三郎はIOC委員たちに説明を始めた。
「仏教ではよく修業僧がこのような真冬に薄着で水をかぶるなどの修業をします。これを荒行と言います。このような過酷な修業に耐えることで釈迦のいう悟りの境地に近づけるものと考えられているからです」

 テレビではIOC委員への奨学金や贈り物の中身について詳しく報道している。それを見ながら喜三郎は髪の毛をがりがりとかきむしるのだった。
「こんな、……こんな金でどうにでもなる連中だとわかっていたら、あんな馬鹿な苦労はしなかったのにぃ!」

     [完]




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