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大型アナウンサー小説
無舌(むぜつ)
佐野祭

 三本松テレビの人気番組、「ニュースバトル」の人気女性キャスター梅田手児奈がアナウンス部の杉野森部長に呼ばれたのは生放送の終わったある夜だった。
 部長はしばらく言葉を選んでいたようだったが、
「君の最近の放送だがね」とぼそぼそと切り出した。「どうもこのごろ一言多いんじゃないかという声が、局の内外から出てるんだ」
 手児奈は一瞬むっとしたが、すぐに言い返した。
「部長、お言葉ですけど今は昔のようにアナウンサーが原稿を読んでさえいればいいという時代ではありませんわ。ニュースはNHKに任せればいいという頃ならともかく、このニュース過当競争の時代にはそれなりの方法があるはずです」
「それはそうだが」
「視聴者は自分が考えていることを私に代弁してもらいたがってるんです。多少過激に聞こえるかもしれませんけど、それが視聴者の本音ですわ」
「……」
「私は今のやり方を変えるつもりはありません。こんなことはいいたくありませんが、部長、他局からも声がかかってるんです。とにかく、私は私のやりたいようにやらせていただきます。失礼」
 手児奈の背中を見送りながら、部長は椅子に深く体を埋めた。
(やはり、あの男に来てもらうしかないな……)
 一週間たったある日。手児奈は半年ぶりの休暇を取ることができた。
「部長、ありがとうございます」
「ずっと忙しかったからな。ゆっくり休んでくれたまえ」
「ところで、休みの時の私の代わりは誰が」
「うん、この局の大先輩の松本喜三郎さんに頼むことにした」
「松本……?」
「君が知らないのは無理もないな。君が入社するずっと前にやめた人だからな。まあ、後は心配するな」
 その晩、今日はニュースを見ないでゆっくりしようと思っていた手児奈だったが、やはり喜三郎という男が気になった。なんだって部長は今更そんなロートルを引っ張り出したのだろう。
 スイッチをいれる。見慣れたスタジオの見慣れた席に、今日は見知らぬ貧相な男が座っている。
 喜三郎は一礼におよぶと、視線を手元からこちらへとゆっくりと上げ、重々しく語りだした。
「の」
 手児奈の背筋を衝撃が走った。韓国のノ・テウ大統領が国会での演説で北朝鮮との緊張緩和に向けて南北会談を考えていると語った……これだけ多くの情報をわずかの一言で伝えきってしまうとは。
 喜三郎のモニターを凝視していたが、一つ二つうなずくと、大きく深呼吸をして語り続けた。
「つ」
 手児奈は思わず立ち上がっていた。三重県津市の市長選挙は現職で保守系無所属の山本甚平氏が共産党新人の木村庄太夫氏を破り三選を果たした……たったの一言にしてすべてを言い尽くしている。
 喜三郎の顔が若干緩む。かみしめたくちびるをゆるやかに開き、間合いを取ると一気に語った。
「ぱ」
 手児奈はテレビから逃げだしたくなったが、その目は釘付けになっていた。今日のパ・リーグの結果近鉄が五対四でオリックスをくだし日本ハムは三対一でロッテを破り西武はダイエーに二対〇で勝ち郭泰源は二ヶ月ぶりの完封勝利 ……これ以上何が必要だろう。
 喜三郎は深くため息をつくとにっこりと笑い、やさしく語りかけた。
「る」
 手児奈は息もつけないほど驚いた。今のは何を言ったのかわからない。
 喜三郎はお辞儀すると、再び語りだした。
「失礼しました。ゆ」
 手児奈は床にたたきつけられそうな錯覚に落ちた。ここ湯の里草津では温泉に狸が紛れ込み温泉客に愛敬を振りまいています……手児奈は不思議な気持ちになった。ニュースをみていて心が熱くなったなんて、何年ぶりだろう。
 休暇があけて出社した手児奈はすぐに部長の元に出向いた。
「私、また一から出直すつもりでがんばります。何か気づいたことがあったらまたお教えください」
 スタジオに向かう手児奈を見送りながら、部長は考えるのだった。
(れ)

     [完]




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