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「ふーん。真奈美ってお前よりうまいんだ」喜三郎は手児奈が自分でははっきり表現しなかったことをさらっと言ってのけた。
「でも、柴田さんのは聞いたことないんだろ」
「だって、あの子なんでもできるもん。きっとピアノだってうまいよう」
「そうとは限らないじゃん」
「どうしよう、私、リコーダーに回されちゃうよ」
「だからなんなんだよその回されちゃうってのは。いいじゃん、一緒にリコーダーやろうよ」
「やだやだやだ、絶対やだ」
「よくわかんねーなー。よし、それじゃあ」
 といったものの喜三郎は何も考えてなかった。
「それじゃあ?」
「それじゃあ……特訓だ」
「特訓?」

「ただいま……あれ?」
 そんなことがあってしばらくして。手児奈の父が比較的早く会社から帰ってきた。
「あら、おかえり」
 出迎える母に父は不思議そうに聞いた。
「母さん、どうしたの、これ」
「え、なに?」
「ピアノさピアノ。あいつが練習するなんて」
「やだ昼間は週にいっぺんぐらいは弾いてるわよ」
「でも、俺聞いたの一年ぶりくらいだぞ」
「うん、おわかれ会の合奏なんだって」
「え、なんてった?」
「お・わ・か・れ・会・の・合・奏」
「ふーん、であいつがピアノ弾くのか」
「まだ決まってないんだって。それでいま特訓中なんだってさ」
「はー、選ばれるかどうかなんだ」
「え、なんだって?」
「選・ば・れ・る・か・ど・う・か・な・ん・だ。しかしこれ本人の前では言えないけど、ピアノって……」
「ん」
「うるさいもんだな」

 いよいよ楽器を決める日がきた。
「じゃあ、黒田さん柴田さんと梅田さんに順番にピアノを弾いてもらおう。まず、黒田さん」
 杉野森先生が真奈美を呼んだ。
 喜三郎は手児奈の方を見た。手児奈はかちかちに緊張している。
「手児奈お前特訓したんだろ、大丈夫だよ」
「だめ、私絶対緊張するの」
「知ってるか手児奈、手のひらに『人』って字書いて飲み込むまねするとあがらなくなるんだぞ」
「そうなの?やってみる」
 手児奈はしばらく手のひらに書いては飲み書いては飲みしていたが突然「あーっ」と叫んだ。
「なんだよ」
「どうしよう松本、間違えて『入』飲んでた」
「もう、そしたら『出』飲んどけよ、差し引きゼロだよ」
「おーい、松本静かにしろよ、演奏が始まるぞ」
「ほら、俺が怒られちゃったじゃないか」
 黒田真奈美の演奏が始まった。
(やっぱり真奈美ちゃんうまい……)
 手児奈はますます緊張した。手のひらに『出』を書いて飲み込んだ。
(あれ?いま『出』を四回飲んで、『入』を三回飲んでたから、やだ、『出』の方が多くなっちゃった)
 手児奈は『入』を一回飲んだ。
 真奈美の演奏が終わり、柴田の演奏が始まった。柴田の演奏がちゃんと聞こえていたら手児奈はもっとショックを受けていたのだろうが、あいにくもはや手児奈の耳には何も入っていなかった。誰かに袖を引っ張られて手児奈は我に返った。喜三郎だった。
「手児奈、呼んでるよ」
「は、はい」
 ピアノの前に座り、先生の合図がでるかでないかのうちに手児奈は弾き始めた。途中何度が間違えたような気はしたが、何が何だかわからないうちに曲は進んでいった。

「あー、ほっとしたあ」
 学校からの帰り道。手児奈と喜三郎は一緒に帰っていった。
「もう当分ピアノ見たくない」
「じゃあリコーダー」
「もっと見たくない」
「なんなんだよお前は。俺の特訓の成果じゃねえか」
「あんた特訓やれって言っただけでしょ」
 合奏でのピアノ演奏には結局真奈美と手児奈が選ばれたのである。といっても、柴田がうますぎて合奏とは別にソロで弾くことになっただけなのだが。
 でも手児奈にとってはそのようなことはどうでもいいことだった。ピアノに残れれば、理由はなんでも構わなかった。
「よかったあ」
 ほっとする手児奈に合わせて喜三郎もよかったよかったと言った。手児奈がよかったと言ってるんだから多分よかったんだろうと思ったが、もちろん喜三郎には何がよかったのかちっともわからなかった。

     [完]




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