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大型近未来小説「手」
序章 千羽鶴には手がいる

 三本松電機営業部の杉野森弥三郎のところに製品開発部の松本喜三郎から電話があったのは、もうそろそろ帰ろうかという金曜の夕方だった。
「おおい。杉野森。元気か」
「なんだなんだずいぶん御無沙汰だったな」
「ずっと研究に没頭してたからな。今度のはちょっと画期的だぜ。すぐ見に来てくれ」 「何作ったんだよ」
「見ればわかる。とにかくな、開発までに三年半を費やしたんだ。よく寝食を忘れてというがな、俺は今度それを身をもって実感したぞ。しかしそれだけのことはあったぜ。これこそ俺の技術者としての理念の具象化といってもいいだろう。
すなわち、心に平安を、魂に感動を」
 弥三郎はわかったわかったといって電話を切った。一度顔を出さないといつまで能書きを聞かされるかわかったもんじゃない。
 喜三郎が新製品を開発したとなると、同期のよしみで弥三郎に真っ先に相談の電話がかかってくる。ただし、彼の開発したもので実際に製品化されたものはまだない。彼の場合発想が若干飛びすぎていて、とてもじゃないが売れそうな製品ではないのだ。
 しかし、そういう発想というものはたとえ今は役に立たなくてもまた他の形で使えることがある。彼のような存在は貴重なのだ。と、部長はよく言っているが弥三郎にはとてもそうは思えなかった。
 研究開発部のフロアにいってみると、喜三郎が色とりどりの色がみを持ってうろうろしている。弥三郎の顔を見るなりだし抜けに聞いてきた。
「おい。杉野森。千羽鶴を折ったことがあるか」
「千羽鶴?」
 そういえば高校のとき担任の先生が入院したので学級委員が千羽鶴を持ってお見舞にいこうと言いだしたことがある。四十人のクラスでひとり二十五羽、すぐできるなと軽くみたのがいけなかった。実際に二十五羽折るとなると大変な手間がかかるものである。昼休みの間じゅう折りつづけ、午後の授業中も折りつづけ、やっと出来たのは放課後だった。あれ以来、千羽鶴だけは決して折ってない。
 そう話すと、喜三郎はにやりと笑った。
「そうだろうそうだろう。でも、そんな苦労とはもうおさらばだ」  弥三郎の心に不安がよぎった。
「俺が作り上げたこの機械さえあれば、三百六十羽の鶴が一分間だ。名付けてスーパー・千羽鶴・マシーン」
 そんなもの買う奴いるかと言いたいのをを弥三郎はぐっとこらえた。言い出したら聞くような奴ではない。
「もちろんただ鶴を折りあげるだけではない。そんな単純なもんだったらとっくに誰かが作ってる」
 そんなもの作るのお前だけだと言いたいのを弥三郎はぐっとこらえた。言い出したら聞くような奴ではない。
「なあ、比翼の鶴って知ってるか」
「なんだそれは」
「一枚の紙から何羽もの一つながりの鶴を折るやり方だ。この機械はそれができる。そもそもこの機械のために俺はまず和紙の材質の研究から始めたんだ。何と言っても千羽鶴といえば心の平安のシンボルだ、それにふさわしい紙を見つけなくっちゃならない。なおかつ機械折りでも手折りに負けないだけの美しさは絶対条件だ。世間ではよく美濃紙っていうけれど、俺の感じでは……」
「とりあえず実際に見せてくれないか」弥三郎はあわててさえぎった。この上苦労話を聞かされてはたまったものではない。
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