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 美術館は緑地公園の一角にあった。私たちが美術館に向かって歩いていると、スピーカーから大音量が流れた。
「こちらは公園管理事務所です。ただいま午後一時半です」
 もしやと恐れていたのだが、さすがに美術館の中まではあのうっとうしい時報は追いかけてはこなかった。私は安心して手児奈と一緒に絵を楽しむことができた。
「私高校のとき美術部だったんだよ」
「へえ、じゃあ絵描いてたの」
「うん、風景画を描くのが大好きだったんだ。あちこち写生旅行に出かけたりして。きれいだったのは安曇野。すっごくよかったよ」
「今は描いてるの」
「ううん、全然。その頃の彼ともね、よくこの美術館来たんだ。でも、ほんとはその人ね、あんまり絵が好きじゃなかったみたいなんだ」
 手児奈は微笑んだ。
「喜三郎さんが絵の好きな人でよかった」
 私たちの前でクロッキーに熱心に見入っていた初老の男性のところに、若い男が歩み寄って何やら耳打ちした。男性はそれを聞くと手児奈のところにやってきた。
 手児奈は男性と二言三言ことばをかわすと、私の顔を見ていった。
「いま二時十八分だって」
 私がとまどっていると、手児奈は軽く私の肩をぶった。
「やあねえ。次の人に伝えないと」
「次の人?」
 後ろを振り返ると品のよさそうなおばあさんがいる。私はとまどいながらも話しかけた。
「ええと、いま、二時十八分だそうです。もう二時十九分になったかもしれませんが」
 おばあさんは深々とお辞儀をした。
「まあほんとにありがとうございます」
「いえまあ、そんな大したことじゃ、いえいえ」
 おばあさんは何度も何度もお辞儀をし、後ろの人に伝えにいった。
「ねえ、なんでこんな伝言しなきゃなんないのさ」
「え? だって、美術館の中で大きな音で時報流せないじゃん」
「いやそうじゃなくて、こういうこといつもやってるの?」
「喜三郎さんのところではどうやっているの」
「そりゃあまあ、みんな自分の時計を見るんだよ」
「それってなんか寂しくない?」
 そう思ったことはないのだが、説明してもわかってもらえるとは思えない。
 しばらくは時報の伝言も回ってこなかった。私は落ち着いて手児奈と一緒に絵を楽しむことができた。
 美術館を後にし、公園の中を歩きながら私は手児奈と話した。
「美術詳しいんだね」
「うん、やっぱ美術部だし。喜三郎さんはクラブは何をやってたの」
「俺は野球部」
「ふーん、じゃあ坊主刈りとかしてたの?」
「一応ね」
「私の高校も野球部結構強かったんだよ。私が高三のとき県大会でベスト8まで行ったんだ。そのときは応援にいったよ。そんなチアリーダーまではやらないけどさ。けど相手がその年の甲子園で優勝した高校でね、コールド負けしちゃって。くやしかったなあ」
 手児奈は屈託のない顔で笑った。
「プロ野球とか見る?」
「ううん」
 彼女は首を振った。
「ほんというとルールよくわかってないんだ。でも、そのときはみんなでそうやって応援するのが楽しくてさ」
「いいなあ。うちの野球部なんて応援なんて誰も来なかったもんな。あの広い神宮球場に五人だぜ、五人」
「かわいそーう。そのとき知り合っていれば応援しにいってあげたのにね」
 手児奈が笑った。
「ねえ、これから……」
 私が話しかけたそのとき、大音量で軍歌が鳴り響いた。
「国民の皆さん。戦後の日教組によるゆがんだ教育のため、いま子どもたちが凶悪犯罪に走っています。現在十五時二十五分です。少年法を改正し、教育勅語を復活しましょう。十五時二十六分であります」
 軍歌が遠ざかっていった。
「これから、どこでもいいから時報の聞こえないところ行かないか」
 もうちょっと気が利いたことをいうつもりだったが、すっかりそんなことはどこかに消し飛んでしまった。
「じゃあ……」手児奈はしばらく間を置いた後口を開いた。
「うちに来る?」


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