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大型料理小説
注文
佐野祭

 うどん屋・三本松庵に一人の客がふらっとやってきて注文した。
「冷し鍋焼うどん」
 店主のキサブローはいつものように椎茸を切り、葱を刻み、鍋を火にかけてぐつぐつ煮込み、鍋つかみでお盆の上に乗せて持って行こうとしてふと気がついた。
 待てよ。これは単なる鍋焼うどんだ。客の注文は何だった。確か、「冷し鍋焼うどん」ではなかったか。
 キサブローは煮立った鍋を冷蔵庫につっこんだ。さらに回りから氷で冷やし、うちわで扇ぎ続けた。
 出来上がった物を見てキサブローは考えた。どう見てもうまそうではない。
 そうか。これは単なる「冷えた鍋焼うどん」じゃないか。中華そばと冷し中華がまったく別の料理であるように、鍋焼うどんと冷し鍋焼うどんも当然まったく別の調理法であってしかるべきだ。
 キサブローはうどんをゆで、キュウリを刻み、卵焼きを添えた。さらに上からよく冷やしたたれをかけて、出来上がった物を見てキサブローは考え込んだ。
 何とかそれなりに食えそうではある。しかし、これは単なる「冷しうどん」だ。鍋もなければ焼いてもいない。
 キサブローは器を鍋に移しかえた。だが、よく考えるとちっとも問題の解決になっていない。これで確かに「冷し鍋うどん」にはなった。だが、焼いてないではないか。焼かないことには「冷し鍋焼うどん」とは言えない。
 キサブローは鍋を火にかけた。出来上がった物を見てキサブローははらはらと落涙した。確かに鍋焼うどんにはなった。だが、「冷し」ではなくなってしまった。
 キサブローは鍋を冷蔵庫で冷やし、氷をぶち込んだ。出来上りを見て頭を抱え た。冷えた鍋焼うどんになってしまった。
 キサブローは冷やした鍋と焼うどんを用意した。そして自己嫌悪におちいった。私はとんちの一休さんではない。
 しかし、その瞬間キサブローの頭にひらめくものがあった。彼は冷やした鍋の中に熱い鍋焼うどんをぶちこんだ。冷えた鍋の清涼感。鍋焼うどんの熱気。これぞ冷し鍋焼うどんの名にふさわしい料理といえないか。
 だが熱力学の法則とは恐ろしいものであっという間に冷し鍋焼うどんは単なるぬるい鍋焼うどんになってしまった。キサブローは鍋に触れてみた。若干温かい。清涼感もなにもあった物ではない。
 そうか、わかったぞとはたと膝をたたいたキサブローは冷やしたたれを鍋焼うどんのとなりに並べた。これなら直接熱が伝わることはないから、ぬるくなることはない。清涼感は失われずにすむ。
 さあ、これなら客に出しても大丈夫だとしげしげと眺めているうちに、なにか気に入らなくなってきた。何が問題なのかずっとにらみ続けていたが、そのうちおぼろげながら答が見えてきた。
 要は量的な問題なのだ。鍋焼うどんの大きさに比べて、たれの入った器はいかにも小さい。うどんの熱気に比べてたれの清涼感が伝わってこないのだ。
 清涼感を引き立たせるためには、最低でもたれは鍋と同じ大きさかむしろ大きいくらいでなくてはならない。しかし鍋と同じ大きさの器では、全体的なボリュームが大きすぎるのではないか。
 悩みはまだあった。その場合具は鍋に入れるべきか、たれに入れるべきか。鍋のつゆとたれとどちらを濃いめにするべきか。
 あと三年あれば。三年あれば、俺はこの料理を完璧なものにする自信がある。だが、腹をすかせた客が向こうに待っているのだ。料理人としての夢やプライドはもちろんある。だが、それ以前に俺は客商売だ。三年後の客よりも、目の前の一人の客を大事にしなければならないのだ。
 かといって完成していない料理を出すわけにはいかない。負けを認めよう。逃げだと思われるかも知れないが、負けを認めよう。
 キサブローはいった。
「すいません、あいにく切らしてるんですが」
「じゃ、きつねでいーや」

     [完]




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