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大型風物小説
鵜飼の初め
佐野祭

 長良川は今日も穏やかにたゆたっている。
 弥三郎が岸辺を歩いていると、水の中に見慣れた人影がある。
 喜三郎だった。
 喜三郎はもがいていた。といって溺れたふうではない。何かと取っ組み合っている。黒い鳥を抑えつけようとして鳥が刃向かっているのだ。どうやら鵜を捕まえようとしているようだ。
「おい、喜三郎、何をしている」
 喜三郎は鵜を抑えようとする手を休めるでもなく、弥三郎を見やりもせずに答えた。
「この鵜をな、この鵜をな、とらまえて鮎を取り上げるのじゃ」
 見ると鮎の喉は大きく膨らんでいる。どうやら鮎を飲み込んでいるらしい。
「お主、鵜から鮎を取り上げてなんとする」
「知れたこと、己が喰らうのじゃ」
 弥三郎は情けなかった。何が悲しゅうて鵜と鮎の取り合いをしなければならないのだ。
「何も鵜から取り上げずともよいではないか。鵜も飯は喰わずばなるまい」
「そうかも知れぬが」喜三郎が答えた刹那隙ができたのであろう。鵜は喜三郎の手を放れて川面を飛び立っていった。
「これ。お主が余計なことを申すから鵜に逃げられたではないか」
「そんなことはわしの知ったことか。お主、鵜の上がりをかすめ取ってどうするつもりだ」
「そこよ」喜三郎はおかに上がってきた。
「どうしたって、水の中ではわしより鵜の方が動きが達者だ。鮎は水の中を泳ぐものだから、どうしても鵜の方が鮎を捕まえるのがうまい」
「それはそうだろう」
「だが、こやつらは捕まえた鮎をすぐに飲み込んでしまうのだ」
「鵜呑みというくらいだからな」
「そこでこの鮎を飲み込ませないで取り上げることができれば、いくらでも鮎が手に入るではないか」
 弥三郎は喜三郎の言うことに合点が行かぬというふうにかぶりを振った。
「しかし、鵜から鮎を取り上げるのは鮎を捕まえるより難しいのではないか」
「そうなのだ」喜三郎は濡れた服を乾かし始めた。「力ずくで取り上げようとしたが、どうもうまくゆかぬ。そこで弥三郎、わしは鵜となじもうと思う」
「なじむ」
「鵜と力を合わせ、共に鮎を捕るのだ」
 それからしばらく喜三郎の姿を見なかった。
 再び弥三郎が喜三郎を見たとき、喜三郎はなにやら川の中で泳いでいた。
 最初その水の中に潜っているものが喜三郎とはわからなかったが、ときどき頭をもたげる様子を見ると確かに喜三郎だった。
「これ、喜三郎。何をしよる」
 喜三郎は頭を上げてこちらを見た。
「鮎を捕まえている」
 弥三郎はおかしくなった。
「やはり、鵜に鮎を捕らすより自分で捕まえたほうが早かろう。さすがにあきらめたか」
「なんのあきらめるものか」
 喜三郎が頭を振ると水滴が周りに飛び散った。
「こうやってな、こうやってな、鵜になったつもりで鮎を捕るのじゃ」
「なんのためにそんなことをする」
「こうするとな、鵜の気持ちが分かるのじゃ。鵜と共に鮎を捕るのに、これほど確かな手はあるまい」
 弥三郎は合点が行かぬという顔で川を立ち去った。
 次に弥三郎が喜三郎を見たとき、喜三郎は鵜と共に川に潜っていた。
 喜三郎と鵜が共に潜ったかと思うと、共に顔を出した。鵜は嘴に鮎をくわえている。
 喜三郎は鮎を捕ろうとする。しかしそれより早く、鵜は鮎を一飲みとした。
「これ、飲んではならぬ。飲んではならぬ。こちらに渡せ」
「喜三郎。おい、喜三郎」
 喜三郎は辺りを見回して弥三郎の呼ぶ方に気がついた。
「何をしている喜三郎」
「いや、鵜に鮎を捕らせるのはうまくいったのだが、そのあとどうしても渡してくれぬ」
「そりゃ、鵜にしてみればどうしたって割が合わぬ。お主に鮎を渡すのでなければ、捕まえた鮎はまるまる己のものだ」
「そこは悪いようにはせぬ」喜三郎は弥三郎に言うでもなく鵜に言うでもなく言った。
「日によってはまったく鮎の捕れぬ日もあろう。そんな日にはこちらから餌をやろうほどに。鵜にとっても悪い話ではあるまい」
 ふいに鵜が暴れたので喜三郎の顔に大きく水がはねた。
 弥三郎は無言で立ち去った。
 次に弥三郎が喜三郎を見たときは、喜三郎は舟に乗り川を漕ぎだしていた。喜三郎のそばには鵜がおとなしく従っている。
(あやつ、ついに鵜を手懐けたか)
 喜三郎と鵜を乗せた舟は川の中程で止まった。喜三郎はトウと鵜を放つ。
(ほう)
 鵜はそのまま戻ってくるとトウと喜三郎を放つ。喜三郎は川に飛び込み、口に鮎をくわえて浮かび上がり、鮎を鵜に渡す。
 鵜は鮎を落ち着き払って鵜呑みにするのだった。

     [完]




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