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大型出版小説
有害図書
佐野祭

「今日お伺いしたのは、こちらで出してるこの本のことなんです」
 三本松出版五階の応接室。うつむいたまま聞いているのは出版部の松本喜三郎。腕ぐみをしてたばこをくゆらせているのは杉野森弥三郎部長。そして、本を前に話し始めたのは『子供の読み物を考える会』の梅田手児奈。
「この作品のクライマックスの暴力シーンについてなんですけど」
「しかしこの話の場合、このシーンが不可欠でして」うつむいたまま喜三郎が答える。
「わが社では、暴力シーンは極力減らす方針であります」横から口を出したのは杉野森部長だ。
「もちろん私たちだって、暴力シーンだからといって頭から悪い、と決めつけるつもりはありませんわ」手児奈は品のよい微笑みを浮かべて答えた。
「でも、私たちが問題にしたいのは暴力をふるうのが教職者ということなんです」
「……それは、主人公が教師ですから」喜三郎は目を伏せたままである。
「いいですか、子供たちにとって親の次に身近にいる大人が先生なんですよ。その先生が暴力をふるうなんて、子供たちが読んだらどう思うとお思いですか」
「もともとは児童向けではないものですから、つまり……、」
「私たちがみてましても教師という職業はほんとに大変な仕事なんです。現場の先生方にとっても子供たちからそういう目でみられるのはとてもつらいことだと思うのですが」
「そう……ですけど」
「これだけ校内暴力が盛んになってしまった時代に、体罰とかを使わずに指導してゆこうという良心的な先生方もたくさんいらっしゃるんです。でも、子供たちが『先生というのは暴力をふるうものだ』と思ってしまったらどうしようもないじゃないですか」
「……」
「私どもといたしましても、こういった本を出版する際には十分留意しておりますが、」杉野森部長が答えた。
「問題はもう一つあるんです」手児奈は部長の言葉をさえぎった。
「この話が食べ物を粗末にしているということです。このことについては、前々から言い続けてきたことだと思うんですけど」
「確かに、それはそうなんですが……」
「今のこの時代にこういうことを言うのは古いとお思いかも知れませんが、でも現にその日の食べ物がなくて飢えている人たちがいっぱいいるんです。今の時代だからこそ、こういうことを言い続ける必要があるんじゃないですか」
「いや、だからといって」
「確かに我々も、当社で出したかつての出版物について見直す時期であると考えております」
「部長」
「いいから黙ってなさい。梅田さん、今日は貴重なご意見をうかがえて恐悦至極です」
「ええ、私たちだってだからといってこの本の出版をやめろ、などというつもりはありませんわ」手児奈はまた品のよい微笑みを浮かべた。「ただ、その個所を書き直してくださればそれでいいんですの」
 手児奈が帰った後、部長が言った。
「いいな。いま聞いた通りだ。すぐに書き直すんだ」
「でも部長」
「発売中止を避けられただけでもありがたいと思え。とにかく、一ヶ月以内に作業を終えろ」
「でも、これは古典です」
「松本くん」部長は苦虫を噛み潰した顔ではきすてた。「君がこの作品に愛着を持っている気持ちはわかる。私だって同じだ。だがな、もう時代に合わないんだ」
 部長が去った応接室で喜三郎はじっと残された本を見つめていた。
 四、五分も見つめていただろうか、ふいに喜三郎は満身の力を込めてその本を引き裂き始めた。ページをばらし、紙を引きちぎり、表紙を折り曲げ続けた。タイトルの「夏目漱石著・坊っちゃん」という字が見えなくなるまで。

     [完]




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