大型公募小説

万歳に決まるまで

佐野祭


 新しい世には新しい祝い方を。
 そこまではいいとしよう。しかし、
「これからの世の中は広く天下の声を聞き智を集めるのが肝要である」
なんて明治新政府の上の人が言い出したもので、松本喜三郎と杉野森弥三郎は応募はがきの山に埋もれている。
 すでに振りのほうは決まっていた。東京師範学校室戸瑞光校長の発案により、両手を高く上げて降ろす、これを三回繰り返す、これが物事を祝う動作の政府案としてまとめられた。それに合わせて発する掛け声は、一般公募により決まることになったのである。
 喜三郎と弥三郎は、集まった候補からの選定を命ぜられていた。
 喜三郎が最初のはがきを取り上げた。
「まず最初はこれだ。えーと、古来めでたい言葉にもいろいろありますが、広く民衆に知られ、縁起物として定着しているという意味で、『鶴亀』を推薦します」
「なるほど」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「つるかめー。つるかめー。つーるかーめー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「悪くはないな」
「ああ。でも、これって縁起の悪いことがあったときに使わないか」
「そうだな。じゃ、これはどうだ。めでたいといえば正月。正月といえば宝船。宝船といえば七福神。七福神といえば中でもとりわけめでたいのが恵比須様であります。祝いの掛け声には、『恵比須』を推すものであります」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「えびすー。えびすー。えびーすー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「布袋のほうがめでたくないかなあ」
「やってみようか」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「ほていー。ほていー。ほてーいー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「どっちとも言えないなあ」
「まあいい。次は」
「新しい明治の代ですから、やはり今までになかった新しい事物が新しい掛け声にふさわしいと思います。近ごろ私が度肝を抜かれたのが汽車でした。馬よりもさらにたくましい力、飛ぶような速さ、新しい時代の掛け声はこれです。私は『汽車』を推薦します」
「なんか変だなあ」
「まあ、やってみよう」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「きしゃー。きしゃー。きーしゃー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「ガキが喜んでるみてえ」
「次は」
「今までの世との一番の違いは何か。将軍様が治める世から、畏れ多くも天皇陛下が自ら治める世になったということであります。掛け声は『天皇』しかありません」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「てんのう。てんのー。てーんーのーう」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「これよろしくないんじゃないか」
「俺もそう思う。次は」
「えー、長く生きるという意味で、『万歳』はどうでしょうか」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「ばんざーい。ばんざーい。ばんざーい」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「可もなく不可もなくだな」
「ああ。次」」
「私が推薦するのは『焙煎』です。茶葉に熱を加え、余計な水分を飛ばし、香りと甘みを引き出します。また水分を飛ばすことで茶葉が長持ちするという効果もあります」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「ばいせーん。ばいせーん。ばいせーん」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「さっきのとちょっと似てるな」
「ああ。次」
「なぜこのような公募をするのかわかりません。祝いのときに掛けるべき声は日本人が古来より愛でた花、日本人の魂、『桜』しかないではないですか」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「さくらー。さくらー。さくーらー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「うん、なんとなくめでてえな」
「確かに。次は」
「私は天啓を受けました。これしかありません。この名は広く天下に知らしむことになります。『駒込ピペット』」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「こまごめぴぺっと。こまごめぴぺっと。こまごめぴぺっとー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「なんだそれ」
 のちにこの応募者の執念は、臨床医学で衛生的な器具として発明され化学実験に広く用いられる駒込ピペットとして実を結ぶことになる。
「次」
「やはり明るくて希望のある掛け声がいいですね。『さわやか』はどうでしょう」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「さわやか。さわやか。さわーやかー」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「さわやかだな」
「ああ。さわやかだ。次は」
「えー、『隣の柿は……』」
 喜三郎はそのはがきをずたずたにした。
「いるんだよこういう馬鹿が必ず」
「次は」
「めでたいのだから、『めでたい』がいいと思います」
 喜三郎と弥三郎は立ち上がり、両手を高く振り上げて叫んだ。
「めでたい。めでたい。めでたい」
 喜三郎と弥三郎は腰を下ろした。
「そのまんまだな」
「次は」
 かくして選考は丸三日続いた。
「……次は」
「終いだ」
「やっとか。しかし参ったなあ、この中からどれか一つかよ」
「どれにしよう」
「んー、強いて言えば……恵比須かなあ」
「俺は桜がいいと思う」
「まあ、桜でもいいなあ……そうすっか」
「よし。では、新しい祝いの掛け声は、『桜』に決定」

 それがどういう経緯で現在の形に落ち着いたのか、私は知らない。

[完]


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