大型バレンタイン小説

黒いチョコレート

佐野祭


 山と積まれたチョコレートを前に松本喜三郎は悩んでいた。
(うーん)
 喜三郎は新進気鋭のミステリー作家である、とはいえ別にトリックが画期的だとか独特の文体を持っているとかそういうわけではない。
(うーん)
 彼の人気はもっぱらそのルックスに負っているのである。その整った顔立ちと二七歳というミステリー作家としては例外的に若い年齢もあって、テレビの深夜番組の司会に引っ張り出されたのがきっかけでちょくちょくマスコミに登場するようになり、アイドルやロック歌手に飽きた若い女性に結構人気があるのだ。
(うーん)
 さて、今日はバレンタインデーである。
 エッセイを連載している雑誌、司会をしているテレビ局、文庫を出している出版社に届けられたチョコレートの数々が、喜三郎の部屋に運びこまれた。
(うーん)
 先程来からのうなりはこの山積みされたチョコレートに起因しているのである。
 いくらファンとはいえ見知らぬ人間が送ってきたチョコレートを食べるほど彼は単純ではない。しかし、悲しいかなチョコレートは彼の大好物なのだ。
(自分のファンも信用できないでなにが作家だ)
 彼がここまで執着するのには男子校時代気がついたらバレンタインデーが三日前に終わっていたという暗い過去の影響もあるのかも知れない。
(待てよ。チョコを送ってきたからといって、俺のファンとは限らんじゃないか)
 一旦伸びそうになった手をあわててひっこめる。
(しかし見たところ怪しい気配はなさそうだな)
 おそるおそる一個手にとって眺めてみる。
(危ない、危ない。俺の読者ならどんなトリックを考えてくるかわかったもんじゃない)
 しかしよく考えると、ファンイコール読者ではない。
(そういえばこないだサインをねだってった女、「今度作品も読んでみます」とぬかしやがった)
 あんなにテレビばっかり出るんじゃなかったとはちょっと思ったが、そうして考えると毒を盛りそうな読者というのもあまりいなそうである。
(しかしわからん。ファンを装っているだけかもしれん)
 だがチョコレートの山を見ているうちにむらむらと悔しくなってきた。
(もうなんでもかまわん。俺は食うぞ)
 チョコレートは濃厚な味でほどよく甘みが抑えられていた。むしゃむしゃと一個まるごと食べてしまい、最後に指についたチョコをしゃぶっていると、だんだん冷静さを取り戻してきた。
(ま、まずい。もしかしたら今のが毒入りかもしれん)
 こういうときこそ落ち着かなければならない。ミステリー作家がむざむざと毒殺されたのでは恥である。
 B5版のレポート用紙を取り出し、いま食べたチョコレートの送り主の名前を書き付けた。
(ただで死んでたまるか。迷宮入りはさせん)
 しかしよく考えると名前だけではどこの誰かわからない。いま書いた名前のとなりに住所も書き足した。
(これでOKだ)
 安心したらまた食べたくなった。時計を見るとさっき食べてから五分たっている。
(もう大丈夫だろう)
 名前のところに大きく丸をつけると、二つ目のチョコレートを食べ出した。
 また名前と住所を書いて五分待つ。また丸を付けようとして、ふと思った。
(待てよ。速効性の毒とは限らないじゃないか)
 と、いうことはこういう風に書いていっても犯人の特定はできないわけである。
(こんなとき落ち着くのがミステリー作家だ)
 住所の隣に食べた時刻を書き添えた。これで毒の種類と死亡推定時刻がわかれば、犯人特定の手がかりになる。
(よし、三個目だ)
 チョコの包み紙をむきながら思いついた。
(そうだ、チョコの包み紙を張っておけば、もっとはっきりした手がかりになるじゃないか)
 さっそく包み紙を二センチ四方切りとると、時刻の隣に張り付けた。
(ざまあみろ。この俺を毒殺しようったって、そうはいかないのさ)

「梅田君、病院から連絡はあったか」
「依然意識不明とのことです」
 有名推理作家松本喜三郎自宅で倒るの知らせに、三本松署の杉野森弥三郎警部と梅田手児奈刑事が駆けつけた。
「だが、被害者の残したメモがあって助かった。これでだいぶ犯人の特定が楽になる」
「私、こんなまめな被害者始めてです」
「見ていなさい。この杉野森がきっと、この三百人のリストの中から犯人を割り出してみせるから」
「ええ、三……百?」
「ああ。よし、さっそくこのリストの人物をあたるんだ。もしかすると偽名を使っているかもしれん」
 しかし手児奈は聞いていなかった。山のような包み紙を見ながら、
「そらー倒れるわなあ……」
とつぶやいていた。

[完]


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