大型安全小説

ファールボールにご注意を

佐野祭


 プロ野球はシーズンたけなわ。三本松スタジアムは首位を走る地元ドルフィンズが二位テンボスを迎え撃つとあって満員の観客であふれていた。
 右に大きく切れた打球を見届けて、ウグイス嬢の梅田手児奈はいつものようにマイクのスイッチを上げた。
「ファールボールにご注意ください」
 マイクのスイッチを切った後、手児奈はふと考えていた。
 この台詞を今年だけで何百回口にしただろう。しかし、効果があるのだろうか。
 これだけ注意を繰り返しても、飛んできたファールボールに当たって医務室にかつぎこまれる人が毎年必ずいる。幸い軽い打撲等で済んでいるものの、当たりどころが悪ければ大ケガになりかねない。
 手児奈はその原因がわかったような気がした。
 ボールが飛んでいってから注意したのでは遅いのだ。
 アナウンスが入るときには、ボールはすでに客席に落ちた後だ。そのときに注意しても、どうしようもないではないか。
 ファールボールが客席に飛び込む前に、観客に危険を知らせる。事故を避けるためにはそれが必要なのだ。
「梅田さん、次のバッター」
 電光掲示板の操作係の杉野森弥三郎の言葉で手児奈は我にかえった。グラウンドではさきほどのバッターが出塁し、ネクストバッターズサークルからドルフィンズの主砲松本喜三郎が歩いてくる。
 手児奈はマイクのスイッチを上げた。
「四番、ファースト松本。ファールボールにご注意ください」
 松本がこけるのが見えた。
「どうしたの梅田さん、松本さん変な顔でこっち見てるよ」
 弥三郎がけげんそうに手児奈を見る。
 わかっている、今のはいくらなんでも早すぎた。早すぎる注意は効果がない。
 松本がバッターボックスに入り、主審がプレイを宣告した。ピッチャーはランナーを気にしながら、セットポジションから一球目を投げた。
「ファールボールにご注意ください」
 松本のバットが空を切った。
「今日はなんか変だよ、梅田さん。あーあー松本さん怒ってる」
 手児奈も自分でも変だと思ったのだ。投げるたびにアナウンスを繰り返したのでは、聞くほうも慣れっこになって注意する意味がない。となるとやはり、実際にファールを打ってから客席に飛んでいく前に注意するしかない。とはいうもののその間は一秒ない。手児奈はマイクの前で待ち構えた。
 キャッチャーが外角に構えた。ピッチャーはセットポジションに入り、二球目を投げた。松本のバットがボールをとらえ「ファールボールにご注意ください」手児奈は早口でアナウンスし、ボールは一塁側内野席にすいこまれた。
「梅田さん、今のファボって何?」
 電光掲示板にファールボール注意のメッセージを出しながら弥三郎が尋ねた。
「え、なにファボって」
「梅田さん今言ったじゃない」
「えーファボなんて言わないよお。ファールボールにご注意ください、って言ったんだよ」
「ファボとしか聞こえなかったけどな」
 やはり観客席にボールが飛んでゆくまでの間にこの台詞を全部喋るのは無理がある。手児奈は途方に暮れた。
 しかし、落ち着いて考えると、観客に警告の意志が伝わればよいのだ。センテンスそのものをきちんと伝える必要はない。
 そんなことを考えているうちにピッチャーは三球目を投げた。松本は積極的に打ちにいった。
「ファール」
 そう、要はこれだけで警告になるのである。
 手児奈はマイクのスイッチを切ろうとしたが、いくらなんでもこれだけじゃ変かなあと思い次を続けようかどうしようか迷っていた。しかし早くしないとピッチャーが次の構えに入りそうなのでとりあえず続けた。
「ボールにご注意ください」
 弥三郎が心配そうに手児奈を見た。
「梅田さん、具合悪いんじゃない」
「え、別に」
「だってさっきから変だよ」
「いや、ちょっとね。いろいろと研究してんのよ」
「行った!」
 弥三郎がグラウンドに向き直り電光掲示板の準備を始めた。松本の打球は左翼手の頭上を大きく越え、外野席をめがけて飛んでいる。
 手児奈も松本の何号ホームランであるかを確認し、マイクのスイッチを入れて気がついた。
 そうだ。事態は同じだ。
 手児奈はアナウンスを入れた。
「ホームランボールにご注意ください」

[完]


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