大型比較文化小説

排泄税

佐野祭


 私がサンボツマツ共和国を訪れたのは、夏の盛りの頃だった。
「松本さん、日本とはだいぶ風習が違いますからいろいろ戸惑うでしょ」
 ヤサブロー・スギノモリは流暢な日本語でそういうが、私も今まで回ったことのある国は十や二十ではきかないから、多少の事では驚かない。
 ヤサブローは以前日本に都市工学の勉強をしに留学していて、去年サンボンマツに帰って公務員として働いている。私も一度サンボンマツに行ってみたいと思っていたから、夏休みを利用して遊びに来たのだ。もちろんこちらではヤサブローのアパートに泊めてもらうことになっている。
 アパートについて私が荷物の整理をしているとヤサブローがなにか騒いでいる。騒いでいるのはいいのだが、姿が見えない。どうやらトイレにいるらしい。
「松本さん、金、金貸してください」
 ヤサブローの日本語はうまいのだがどうも時々基本的な単語をど忘れしている。私はそのへんは慣れっこになっていたから、ドアについている小窓から出てきた手にティッシュペーパーを握らせてやった。なるほど、こんなときのためにドアに窓がついているのか。うまくできている。
 手は一度ひっこんだが、すぐに出てきてティッシュを放り投げた。
「松本さーん、冗談はいいから。一ビルデン、ちょっと貸してください」
 何の事かわからなかったがさっき空港で両替した貨幣の中から1BILDENと書かれたコインを探すと、手に握らせてやった。
 水の流れる音がして、ほっとした表情でヤサブローが出てきた。
「すみませんでした、どうも。いつも切らせることなんてないんですが、今日はどたばたかたづけとかしてたんでうっかりしちゃって」
「あ?ああ」
 どうもよくわからなかった。
「ねえ、なんでトイレで金がいるの」
「一ビルデン入れないとドアが開かない仕掛になってるんですよ、ここ。ほらね、ドアのここのところに投入口があるでしょ」
「いやだから、なんで金入れなきゃ出られないの」
「ここ旧式なんですよ。普通は入る前に金入れるんですぅ」
 どうも話がかみ合わない。
「あのね、どうしてトイレで金を払わなきゃならないわけ」
「松本さんだってさっき空港でトイレを出るとき払ったでしょ」
「そりゃまあ、公共のトイレでチップを払うってのは珍しくはないけど」
「チップじゃないんですよ、あれ。税金なんです」
「ぜいきん?」
「排泄税です」
「ちょっと待って、トイレに行くのに税金がかかるの」
「ええ、サンボンマツではずっと前から」
「だって、そんな、排泄なんて人間の基本的な営みじゃん」
「衣食住だって人間の基本的な営みですけど、日本でも税金かかるでしょ」
「そりゃまそうだけど」
 ヤサブローはポットを取ってカップに注いだ。
「どうぞ」
「あ、ども」
 ヤサブローはクッキーを箱から出して皿に並べた。
「要はね、下水の問題なんです」
「下水?」
「四十年前まではね、サンボンマツも回りの国々と同じように伝染病による死者が多かったんです、すごく」
「ああ、そうだろうね」
「予防のためには下水道を完備しなければならないけど、それには金がすごくかかるでしょ」
「まあね、日本だってまだ完備してるとはいえない」
「で、その財源がなかったんで、原因を作った者の負担にするのが一番いいんじゃないかと、こうなったわけです。今じゃサンボンマツの下水普及率は日本よりいいですよ」
「うーん、理屈はわかるけど」
「だから私も日本に留学したとき、日本もそうすべきだと言ったんですよ、あちこちで。でも誰も聞いてくれませんでしたね、馬の糞に念仏で」
「ちょっと違うけど……まあいいや、やっぱそりゃ日本じゃねえ」
 私はカップを口に運んで一口飲んで、あやうく吹き出しそうになった。
「なに、これ」
「ドレヒンです。サンボンマツのお茶ですよ」
「無茶苦茶からいな」
「辛いの程上質なんです。私のところではそんな上質のは買えませんが。ま、無理でしたら、紅茶もありますよ」
「いや、せっかくだから、いただきます」
 私は無理矢理その赤茶色の液体を喉に流し込んだ。
 そこで無理をしたのがいけなかったのかもしれない。その晩はベッドに入っても、腹がゴロゴロしてしょうがない。たまらずトイレに駆け込んだが、どうも具合悪い。
 私は考えた。この調子だと出てもまたどうせトイレに逆戻りしなければなるまい。そうすると、出る度に排泄税を取られる羽目になる。だったらむしろ、この中にずっといた方がマシというもの。
 私が態度を決めてトイレに居座っていると、表でヤサブローの声がした。
「松本さん、考えていることはわかりますけど、排泄税はね、時間制ですよ」

[完]


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