大型食生活小説

ふりかけを食う家

佐野祭


 喜三郎はどぎまぎしていた。恋人の梅田手児奈の家にやってきて、結婚を申し込むため、初めて手児奈の両親に会ったのである。
「君が松本くんか。いやあ、娘から年中聞かされてるよ。ま、これからもよろしく」
 よかった、と喜三郎は思った。まずは気に入られたみたいだ。
「ご飯ができましたよ」
 手児奈の母の声で一同は食卓についた。食卓には、手児奈の母が手をかけたご馳走が並んでいる。
「いただきます」
 手児奈もほっとした表情でおひつからご飯をよそった。
「かあさん、あれ」
「あら、いけない」
「お母さんまたドジしたのお」
 母親はくすくすと笑いながら台所に立ち、小さなビンを取ってきた。どこにでも売っている、ビン入りのふりかけである。
「お父さん、はい」
 父親はふりかけをご飯にかけると、手児奈に渡した。
「手児奈」
 手児奈もふりかけをご飯にかけると、母親に渡した。
 母親は自分の分をかける前に、喜三郎の方にふりかけを差し出した。
「松本さん、ふりかけ」
「あ、僕はいいです」
 急に静かになった。
 どうしたのだろうと喜三郎が見回すと、目の合ってしまった父親があわてて目をそらした。
「あ。ああ。うん、松本くん、ふりかけ食わないのか。あ、うん、まあ」
 なんだろうと母親の方を見ると、母親は凍り付いた頬をあわててゆるめた。
「え。ええ。あの、その、ふりかけ、ほんとにいいの」
 喜三郎は答えた。
「ええ、昔っからあんまりかけないんです」
 父親はうわずった声で笑った。
「ははは。あ、そうか、そうか、いや、食べない家は全然食べないからな。あはは、いやいや、気にしないでくれたまえ」
 母親も呼応するように笑った。
「ふふ、そうですよねえ、そんな、ふりかけを食べても食べなくても、そんなこと大したことじゃありませんよねえ」
 どうも変だと思って喜三郎は手児奈の方を見た。
 手児奈は笑ってはいなかった。
 その目は喜三郎の目をまっすぐに見据えていた。喜三郎はその視線のあまりの強さに目をそらそうとした……が、そらせなかった。
「ま、君はずっとふりかけを食わない家でやってきたわけだし、ね、かあさん」
 父親の言葉でやっと手児奈から目をそらした喜三郎だった。
「そうですよ、ねえ、ふりかけを食べたからって別にえらくはないんですから」
 そりゃまあそうだけど、と喜三郎は思った。
「うん、まあ、私の部下にもふりかけを食わない家のやつは何人もいるけどねえ、でもそいつらが食うやつに比べて、仕事の上で劣っているとか、そういうことはまったくないんだな、うん」
「そうですよ。私もよくPTAのボランティアでふりかけを食べない家にも行きましたけど、みんなとっても素直ないい子たちでしたよ」
「うん、そうそう。ほら、プロ野球選手の大山、あいつだってふりかけ食わない家で育ってあそこまでなったんだぞ。人間、やればできるんだよ」
「……お父さん。お父さん」
「ん」
「……ふりかけの話は、ほら」
「ああ、そうだな、ええと、君は何の会社にいるっていったっけ」
 喜三郎には何が何だかわからなかった。ただ一つわかったことがある……とても結婚をきりだせる雰囲気ではないということだ。喜三郎は茶碗の中の飯をかきこむと、箸を置いた。
「ごちそうさまでした。それじゃ、どうも」
 母親はあわてていった。
「あら、今お茶いれますから。ゆっくり飲んでってくださいな」
 喜三郎は席を立ってお辞儀した。
「いえ、せっかくですけど、これから用事がありますので」
 父親はさっきから同じ笑い方のまま言った。
「あ、まあ、用事があるんだったらしょうがないな。じゃあ、まあ」
「じゃあ、ねえ、また遊びにいらしてね」
 愛想よく玄関まで見送る両親に軽く会釈して、喜三郎は梅田家をあとにした。
 曲がり角を二つ曲がったとき、後ろから駆けてくる足音がした。手児奈だった。
「喜三郎くん」
 振り向くと手児奈は喜三郎の胸の中に飛び込んできた。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」
 手児奈は胸の中で泣きじゃくった。
「あたし、あの時喜三郎くんのために何か言いたかったんだけど、だけど、……」
 手児奈は顔をあげて喜三郎の目を見た。そして、二三歩あとずさって言った。
「あたし、ふりかけなんか食べなくても、喜三郎くんが好き」
 そのまま手児奈は走っていった。
 曲がり角を走って行く手児奈の姿を見送りながら、喜三郎は考えた。どうも、最近世間の常識にうとくなってるみたいだ。明日からはちゃんと新聞も読もう。

 ところで、あなたの家は、ふりかけを食う家ですか?

[完]


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