「人間とは笑う動物である」といわれている。ユーモアは人間だけに許された知的財産なのだ。
ホメラニアのユーモア作家キサブロー・マツモトビッチの名は日本でも早くから知られていたが、その作品はなかなか紹介されなかった。この度三本松出版のご尽力もあって、マツモトビッチの初の邦訳をお届けできることは訳者冥利にたえない。
マツモトビッチの面白さは世界が認めるところである。翻訳の最中も私は幾度となく笑いころげて作業を中断しなければならなかった。
ぜひ、日本の方々にもこの面白さの仲間に加わっていただきたい。
なお、読者の便宜のため適宜訳注をつけた。
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「テコーナ、ヘルモン*1のミルク割り」
ヤサブロー・スギノモリコフはいつものように居酒屋「青海亭*2」で注文する。
この店のおかみテコーナは慣れた手付きでグラスを差し出して言った。
「ねえ、ヤサブロー、今度ね、中央釘抜き官*3がここに来るのよ」
「……それって、中央視察官じゃないのか」
「どっちだっていいのよ。それでね、何か歓迎の催しをやらなきゃならないの。ほら、よくいうでしょ、『倒れたわらじは起こしても縫え』*4って」
「まあ、そうだな」
「で、あなたに頼みたいのよ。ほら、あなた民謡が得意でしょ。こないだもパーティーで、『ハリオ川行進曲』歌ったじゃない」
「ばか」ヤサブローは飛び上がった。「役人の前で、『ハリオ川行進曲』なんか歌えるか*5」
「じゃあ、『福の神*6』でもいいわよ」
「そんな、エントラハイム*7じゃあるまいし……そうだ、いい歌がある。『向こうの山から陽が昇り』というのだ。これはいけるぜ」
さてそんなこんなで当日になった。
「ヤサブロー、もうすぐよ」
「なあテコーナ、ふと思ったんだか」
「何よ」
「視察官がエッセンブリック派*8だったらどうしよう」
「そんなわけないでしょ。さあ、もうすぐ出番だからね」
視察官一行が青海亭に到着し、テコーナの歓迎の挨拶のあと、いよいよヤサブローの歌の番になった。が、ヤサブローは姿を現さない。
テコーナが控え室になっているキッチンを覗いてみると、ヤサブローは頭にキャベツを乗せてホメラニアンダンスを踊っていた*9。
「テコーナ、俺、だめかも知れん」
「いまさらなに言ってるのよ。とっとと舞台に上がった上がった」
テコーナに押し出されるように舞台に放り出されたヤサブロー。開口一番、
「わきが*10」
きょとんとする視察官を前に、ヤサブローはあわてて言い直した。
「ええと、本日はようこそいらっしゃいました。あの、馬の耳に念仏*11ではありますが、一曲聞いてください。『向こうの山から陽が昇り』」
割れるような拍手の中、ヤサブローは歌い始めた。
「 向こうの山から陽が昇り*12
猿の腰掛けたえだえに
モモンガ囃子がうち揃い
切り株めがけて突進だ
ああ、われ地べたに穴を掘り
モモンガめらを退治する 」
視察官の帰った後、すっかり落ち込んだヤサブローにテコーナか話しかけた。
「ねえ、あんまりしょげないでよ、ヤサブロー。ハンボローだって、結局は、箒をかついだんじゃないの*13」
[完]
*0
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*1
ヘルモンはホメラニア独特の蒸留酒。
通常水割りかジンで割って飲用する。ミルクで割ることは滅多にない。
*2
原文はDeroiset。有名なデパート、Deboizetをもじったもの。
*3
釘抜きはホメラニア語でestarsen。視察はeldersenで、音が似ている。
*4
ホメラニアの諺、「倒れた麦は起こしても踏め」のもじり。
念には念をいれよ、の意。
*5
ハリオ川行進曲に、「おいらが畑でこぼした麦をお役人様拾って食った」という一節がある。
*6
ホメラニア国歌。
*7
エントラハイム(1781-1852)はホメラニア内戦のとき、体勢が国王軍側に有利と見るや国王に媚びてとりいったことで知られる。
*8
キリスト教の一派で、讃美歌以外の音楽をいっさい否定した。
十八世紀前半に絶滅。
*9
あがるのを防ぐおまじない。
*10
原文はforkliztes。
「本日」のforgbiztesに通じる。
*11
原文は"El werpiete vost noiche klone."(聞く耳を持たぬ者が聞けば讃美歌も戯れ歌)。
ここでは思い切って意訳した。
*12
元歌は北ホメラニア民謡。元の歌詞は以下の通り。
「 向こうの山から陽が昇り
アルムの川霧たえだえに
雄鶏時を告げし時
若きますらお突進す
ああ、われ神にひざまずき
幸多かれと祈りあぐ 」
*13
ハンボローは叙事詩「アンチィゴルマイン」に登場する英雄。
この落ちはわかりにくいので解説が必要だろう。
ハンボローは妻が自分の悪口を言っているものと勘違いし、妻をはじめ二百人の召使いを切り殺す。
それを止めようとした領主の部下三百人を切り殺す。
混乱を抑えるために来た国王軍六百人を切り殺す。
だが、徳の高い僧アルモンドの導きにより後悔して一生を神に捧げ、修道院の庭掃除をして余生を過ごす。
「切り殺す」(grutasione)には「耳を汚す」の意味もあり、テコーナの言葉はこれにひっかけたもの。