大型教養小説

和歌に親しむ〜鴨

佐野祭


「ラジオ教養講座。和歌に親しむ。第四回、鴨。お話は、三本松大学教授、松本喜三郎先生です」
 今晩は。お元気ですか。さて、この「和歌に親しむ」シリーズも、回を重ねまして四回目になりました。
 昔から日本画の世界でもそうですが、「花鳥風月」ということを申します。和歌の世界でも、こういった題材は好んで歌われるわけですが、特に好まれる題材がいくつかございます。花なら桜、月で言えば秋の月、そして鳥ですと今回取り上げる「鴨」というわけですね。
 鴨が歌の中に登場するのはいたって古くから見られます。柿本人麻呂の有名な歌に

  あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとり鴨寝む

 というのがあります。「あしひき」は「山」の枕詞ですね。山鳥のしだれた、垂れ下がったさまをいいます、しだれやなぎなんて言いますね、しだれたしっぽ、ここまでが「長い」を言い出すための序詞になってます、そのしだれたしっぽのように長い長い夜を山鳥でもないくせに鴨が一羽寝ているよ、とこういう歌です。
 柿本人麻呂といえば万葉集ですが、万葉集で忘れてはならないのが大伴旅人・家持の親子です。

  我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来る鴨

「ひさかた」は「天」の枕詞です。後に古今集の頃に盛んになる手法で「見立て」というのがございます。物事を何か他の物に見立てるわけですね。この場合を梅の花を鴨に見立てて、果たして梅だろうか雪に乗った鴨だろうかと見立てているわけです。私の庭に梅の花が散っているよ。いや、あれは空から雪に乗って鴨が流れてきているのかなあ、という意味になります。
 息子の家持も鴨の歌を詠んでます。この歌は、安積(あさか)皇子の死を悼んで詠まれた歌です。

  あしひきの 山さへ光り 咲く花の 散りぬる如き 我が大君鴨

「あしひきの」は先ほどご説明いたしました。山さえ輝かすほどに咲きほこっていた花が散るように、パッと散った我が皇子はやはり鴨だったのだなあ、とこういう歌です。
 もちろん、万葉集を飾るのは有名な歌人ばかりではありません。東国の名もない人が詠み人々に歌われた東歌。素朴な言葉遣いを味わってみましょう。

    つくばねに ゆきかもふらる いなをかも かなしきころが にのほさるかも
  筑波嶺に 雪鴨降らる 否を鴨 愛しき児ろが 布乾さる鴨

 筑波の山に雪が降るのか鴨が降るのか、いや鴨だ、いとしいあの子が布を干しているのか、いや鴨だ、どうもこの人は近眼だったようですね。
 庶民の中から生まれた歌といいますと、東歌と並んで万葉集に盛んに取り上げられているのは防人の歌です。九州の防備にあたるため徴兵された兵士たちが、家族を思って詠んだ歌ですね。その中から、駿河の防人、商長首麻呂(あきのをさのおびとまろ)の歌をご紹介しましょう。

  忘らむて 野行き山行き 我来れど 我が父母は 忘れせぬ鴨

 忘れようとしての山を越えてきたけれど、私の両親が鴨だというのは忘れられないなあ、という歌です。
 鴨は古今集でも活躍しています。
 留学生として中国に渡り、そのまま客死した阿倍仲麻呂の歌、百人一首でも皆さまおなじみかと思います。

  天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月鴨

 はるか異郷で振り向けば、あれに見えるは、はっ、三笠山の妙怪月鴨ではないか、てなわけです。
 新古今集の頃になりますと歌の表現もだいぶ変わってまいります。鴨が歌に登場することも少なくなって参ります。そんな中で万葉調の作風を好んだ代表的歌人といえば、鎌倉三代将軍源実朝です。暗殺され悲運の将軍と呼ばれました実朝なんですが、彼の歌集である金槐集に見られる鴨の歌はその非業の死を象徴するかのようなものです。

    おほうみ
  大海の 磯もとどろに 寄する波 われてくだけて さけて散る鴨

 要するにこなごなになったんですね。
「和歌に親しむ」、ではまた来週‥‥

[完]


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