大型革命小説

神奈川都市伝説

佐野祭


「言われた通りにシール六枚集めたんですけど」
 港の見えるビルの一室の昼下がり。松本喜三郎が缶コーヒーについていたシールを見せると、梅田手児奈は大きくうなずいた。
「OK。じゃあ、この応募はがきに貼ってちょうだい」
 喜三郎は持参したシールを一枚一枚貼った。このシールを六枚集めて応募すると、抽選で化猫時計が当たるのだ。
「貼りました」
「じゃあ、ここからがいよいよポイントよ。その応募はがきに住所を書くの」
 喜三郎は言われた通りに、応募はがきに「神奈川……」と書き出した。
「ちょっと待って」
 手児奈が急に制した。
「そこよ、そこ。県名を書く欄の次に『都道府県』と、あらかじめ印刷してあるわね」
「ええ」
「そこで『都』に丸をつけて」
「え? だって神奈川は県じゃないですか」
「そこがこの作戦のポイントなの」
 手児奈はゆっくりと立ち上がり、窓から港の活気ある光景を見下ろした。そして振り返り話し始めた。
「首都が東京なのって、なぜだと思う」
「そりゃあまあ徳川家康が幕府を開いて、明治天皇が江戸城に入って……」
「歴史的にはね。でも、いま首都が東京である法的根拠ってないのよ」
 手児奈は本棚から六法全書を取り出した。
「大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法が制定されたのが1890年よね。江戸開城から20年以上たっている。このとき既に首都が東京であるというのは周知の事実になっていたから、明文化された法律は作られてないのよ。憲法は1947年に現行憲法に変わったけど、今に至るまで首都を定義した法律は作られていない」
「はあ」
「ということはね」手児奈は語り続けた。「首都が東京だってのは、単なる慣習なの」
 喜三郎はちょっと考えて言った。
「言われてみると、そうかも知れない」
「つまり、慣習を変えてしまえばいいのよ。みんなが首都は神奈川だと思えば、首都は神奈川になるの」
「しかし……どうやって」
「これは一足飛びにはいかない。小さい事実を少しずつ積み重ねてゆくしかないわ。まず」手児奈は応募はがきを取り上げた。
「こういう小さいところから始めるのよ。これを見る人は最初は、やあ間違えてら、と思うでしょう。でもそれが二回起こったら? 三回起こったら? だんだん自分の知識に自信がなくなってくるわ。ほんとは神奈川が都なのかもしれない、って思い始める。たとえ最初は間違った知識でもね」
 手児奈はそのはがきを喜三郎に返した。
「多くの人がそう思えば、そこが都なのよ」
 喜三郎は『都』に丸をつけようとして尋ねた。
「最初は手堅く府から始めたほうがよくないですか」
「府になって何か嬉しい?」
 手児奈の言葉に喜三郎は考え込んだ。
「これは時間のかかる計画なの。府なんか目指してたらいつまでたっても都にはなれないわ。府の上には道があるのよ」
「道って、府より上なんですか」
「都道府県っていうじゃない。道はひとつで府は二つなんだから」
 言われてみるとそんな気もする。喜三郎は住所の続きを書き始めた。
「まだシールある?」
 喜三郎は百枚近くあろうかというシールを見せた。
「OK。どんどん書いてね」
「手児奈さんは書かないんですか」
「私はコーヒーあんまり好きじゃないから」手児奈は往復はがきを取り出した。「紅白の入場応募はがきを書くの」
 二人で何十枚とはがきを書いただろうか。
「さあ、今日はこのくらいにしましょうか。まだ先は長いわ。始めからとばすと、息切れしてしまう」
 喜三郎はペンを置いて肩をほぐした。
「乾杯しない?」手児奈がワインとグラスを取り出してきた。
「いいですね」喜三郎の顔がほころぶ。
 港はすっかり夜景に姿を変えている。手児奈と喜三郎はお互いのグラスにワインを注いだ。
「私たちの夢の実現に」二人はグラスを上げた。「乾杯」
「いつごろ実現するでしょうね」喜三郎は尋ねた。
 手児奈は港を見つめていたがゆっくり答えた。「それはわからない」
 窓に透けて映る手児奈の目はほほ笑んでいた。
「十年かかるかも知れないし、二十年かかるかも知れない。でも積み重ねていけばいつかきっと実現する。誰も傷つけることなく、血を流すこともなく」
 喜三郎も一緒に港を見つめた。
 二人はそのままやがて首都になるべき街を眺めていたが、喜三郎が言った。
「化猫時計当たりますかね」
「無理よ」手児奈が即座に答えた。「もういくらはがき出したって、あたりゃしない」

[完]


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