大型無人島小説

カラス何故啼くの

佐野祭


 波の音で松本喜三郎は目を覚ました。どうやら命だけは助かったらしい。
 見回すとここは洋上の孤島。小学校のグラウンドくらいしかないその島に、喜三郎は一人である。
 スパイとして相手国の軍艦から情報を盗み出し、つかまりそうになって甲板上で大立ち回り、そのまま相手と一体になって海に落ち、この間の活劇だけでも一篇の小説になるのだがここではふれない。
「さて」喜三郎は島の状況を観察した。
 船の姿は見えない。でも食べられそうな草は結構ある。果物もあるから水分は補給できるだろう。助けが来るまで二、三週間は凌げそうだ。だが。
「まいったな」
 ここでは「能力」が使えない。三日も使わないでいると能力はてきめんに低下する。もしそのまま能力が回復しなかったら……たとえ命をとりとめても、スパイ生命は絶たれる。
 彼の能力は読心能力だった。人が考えていることを読みとる力である。
 喜三郎がこの世界でひとかどの人間になったのはひとえにこの能力のおかげだった。この力を使って、各国の要人や軍人の考えを読みとったのである。この力を錆びつかせてはならない。しかし、ここでは能力を使おうにも相手がいない。
 そのときである。
 バサバサという羽音がした。ふと見ると、果物の木にカラスがとまって木の実をついばんでいる。一羽のカラスが落とした果物をめがけて、他のカラスが寄ってくる。豊富な食物のせいだろうか、カラスは多いらしい。
(こいつらの考えていることが読めないだろうか)
 喜三郎も動物の心理は読んだことがないし、その必要もなかった。だが、この島ではカラスの他にはネズミがいるくらいである。カラスの方が頭が良さそうだった。
 喜三郎は一羽のカラスに神経を集中した。やはり人間相手と違って、すんなりとは読みとれない。カラスの意識が飛び込んできそうなのだが、それがなかなか喜三郎の中で形にならない。やっとのことで読みとれた内容はこうだった。
<かあ>
 まあ、動物相手に力を使うのは初めてだったし、初日はこんなもんかも知れない。
 二日目喜三郎はひときわ体の大きなカラスに狙いを付けた。日が真上にさしかかってもカラスの意識は形にならない。それでも夕方までやっていると、ようやく断片的ながら形になる言葉があった。
<かあ。かあ。木の実。かあ。かあ。雌。かあ>
 喜三郎はさらに意識を集中した。
<雌。雌。かあ。木の実。すっぱい。かあ>
 三日目になると、だいぶカラスの意識が飛び込むようになった。
<雌。あっちの木の実。かあ。こっちの木の実。雌。どっちがうまい。雌。一発やりたい。腹へった。かあ。メシ食う。この木の実うまい。腹一杯。寝る>
 さらに練習を積み重ねていくうちもう少し複雑な心理まで読みとることができた。
<雌。あの雌不細工。腹へった。この木の実硬い。くちばしで破れない。上から落とす。割れた。持ってかれた。腹立った。もう一個落とす。割れた。やっ。かわいい雌。一発やりたい>
「かあ」カラスはもう一羽のカラスのすぐ横に飛んでいった。喜三郎にはさっぱりわからないが、どうやらこっちのカラスは雌らしい。喜三郎は雌の意識にも耳を傾けた。
<雄。くちばし立派。でも顔今一>
<上から見たときよりかわいくない。でもいい>
「かあ」
<おいしそうな木の実。食べたい>
「かあ」
<木の実やる。だからやらせろ>
「かあ」
<木の実食う。でもやらせない>
<あ木の実をくわえて飛んでってしまった。食えないやれない。悲しい。あネズミだ。これうまい。これ食う。でもこれ逃げる。でも逃がさない。捕まえた。食う。腹一杯。やりたい。ネズミ見て雌来た。不細工。でもいい。やらせろ>
「かあ」
<食う先。やる後>
「かあ」
<俺腹一杯。やる先。食う後>
「かあ」
<私メシまだ。食うまで待つ>
「かあ」
<食うまで待って逃げられた。今やる>
<やだ>
 そのまま雌らしきカラスはどこかへ飛んでいってしまった。
<やれなかった。でも腹一杯。うれしくて悲しい。眠くなった。寝る>
 次の日も、その次の日も、喜三郎はカラスの心の中を読み続けた。そして一週間くらいたったある日。
<腹へった。空から獲物探す。や海の向こうに変なやついる。でも俺知ってる。あいつ食えない>
 喜三郎はカラスの飛んでいった方向を見た。水平線かすかに見えるのは確かに船の姿だ。喜三郎は思いっきりの大声を上げ、急造の旗を振り、火をたいて煙を上げた。船の姿は徐々に大きくなった。
「一週間もですか。それは大変だったでしょう」
 船員に助けられて喜三郎は久しぶりに人並みの食事をとっていた。
「ほんと、カラスしかいませんでしたから」
「カラス食べたんですか」
「いえ、カラスは食べませんが」
 次の寄港地に連絡を取りますから、といって船員が無線機を操作する。人こごちついた喜三郎にはまず確認したいことがあった……自分の能力が鈍っていないかだ。
 船員の心の中を読みとる。力は落ちてない。むしろ以前よりすらすらと意識が読みとれる。カラス相手に練習したかいがあった。
<うーん、昼間食ったラムチョップはなかなかうまかったな。晩飯なんだろうな。最近ソーセージが続いているからどうも飽きたな。まあ、次の寄港地に着いたら久々にパスタでも買い込むか。しかし次の寄港地といえば、あの町の女はどうもよくないな。サービスが悪い癖に妙に高い金取りやがる。やっぱこの前の港の女はよかったなあ>
 喜三郎は何度も読心をやり直した。でも、どうしても食事とセックスのことしか読みとれない。能力が高まって一番心の底の部分が見えるようになったのだと気がついたとき、喜三郎はスパイ人生の終わりを悟った。

[完]


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