大型学究小説

言葉の散歩道

佐野祭


「ことわざというものは、表層的にとらえてはいけないのだ」
 爪楊枝にさした梨ををゆっくり口に運びながら、松本喜三郎名誉教授は語った。
 三本松新聞の「辞書と生活」という企画のため、新人記者の杉野森弥三郎が訪ねたのがこの老教授だった。(国語学の元大家ときいたけど)弥三郎は話を聞きながら考えていた。(この爺さんが書いた辞書なんて見たことないぞ)
「このことわざ辞典は三十年ほど前に書いたものじゃ」教授は一冊の本を取り出した。「そのことわざの持つ本質的な意義をとらえるのに苦労したものだよ」
 弥三郎は渡された辞書を開いた。
『豚に真珠[ぶたにしんじゅ] 豚と真珠を一緒に食べると腹をこわすといういましめ。食い合せの一つ。
 猫に小判[ねこにこばん] 猫と小判を一緒に食べると腹をこわすといういましめ。食い合せの一つ。
 馬の耳に念仏[うまのみみにねんぶつ] 馬の耳と念仏を一緒に食べると腹をこわすといういましめ。食い合せの一つ。』
 弥三郎はしばらく言葉を選んでいたが、やおら口を開いた。
「先生は豚と真珠を一緒に食べたことがおありですか」
「ない」松本教授はきっぱりと答えた。「そのおかげで、ほら、八十の今日になってもまだまだ元気じゃ」
 弥三郎は辞書を教授に返して他にどんな著作があるかときいた。
「これは二十年前に書いたものだが」教授は別の辞書を取り出した。
「ふつう辞書というと、まず言葉があって、それから意味が載ってるな」
「ええ」
「しかし実際には、『えーっとほら、なんていったっけ、窓にぶら下がってて竹でできていて……』というようにその言葉がわからないことが多いわな」
「そういえばそうですね」
「そこで逆に意味から言葉を引けるようにしたのがこの辞典じゃ」
 これはおもしろそうだ、と弥三郎は辞書を開いた。
『おこないがきよらかでしよくがなく、そのためあえてびんぼうであること【行いが清らかで私欲がなく、そのためあえて貧乏であること】 清貧。
 おこないとことばがいっちしないこと【行いと言葉が一致しないこと】 言行不一致。』
 弥三郎は何か考えていたが、おもむろに口を開いた。
「引くのが難しそうな辞書ですね」
「うむ、やはり慣れないと使いこなすのがちょっと大変だがな」
 弥三郎はふっとため息をつくと立ち上がって言った。
「今日はどうもありがとうございました。たいへん参考になりました」
「いやいや」教授もにこやかな顔で立ち上がった。久々に若い人にうんちくを傾けることができたのが嬉しかったらしい。「わからないことがあったら、またおいで」
「ありがとうございます」
 弥三郎は一礼して教授の家を後にした。
 新聞社に戻った弥三郎は取材メモを乱暴に丸めると、原稿用紙に向かった。
「   事書と生沽
 どこの家廷にも一冊は事書が供えてあることと思う。日項あまり帰りみることのない事書だが、替通の国語字典の他にも様々な事書があるので、紹会してみたい。……」

[完]


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