大型国際小説

日本人なら腹を切れ

佐野祭


 一九九九年七月……
 恐怖の大王の来日が決まった。
 はて困ったものだどうしようどうしようと頭をかかえる松本喜三郎首相のもとにホットラインがつながった。
「どもー。恐怖の大王だよーん」
「あっ、……いつもお世話になっております」
「今度遊びに行くからよろしくねー」
「国民一同、心より陛下のお越しをお待ちしております」
「ちゃんと歓迎の準備はできてるんだろうな。どこ回るんだ。いやだぞ寺めぐりなんか」
「やはりですね、我が国も先進工業国ですから、最新鋭の工場の見学など計画しておりますが」
「……あほかおのれは」
「恐れ入ります」
「こんな国際交流なんてなあ、他の国と違う物見るから面白いんだぞ。他の国と同じもん見たってしょうがねえじゃねえか」
「はあ」
「例えばお前がよ、オランダ行って風車とチューリップの代わりにビル見せられたらがっかりするだろ?な?」
「恐れ入ります」
「日本でしか見られないもの色々あるじゃねえか、芸がない」
「はあ、……では歌舞伎などいかがでしょう」
「あんなもんはテレビでも見れらあ。日本といえばほれ、フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ……そうだ、ハラキリがいいな。ひとつハラキリやってくれい」
「え、……ハラキリですか」
「知ってるか。ハラキリというのは海外での呼び方で日本国内では『切腹』とか『詰め腹』とかいうんだぞ」
「いや、それは知ってますが……あの、ハラキリはちょっと……ゲイシャでしたらなんとかなるんですが」
「決めた決めた。百年に一度という立派なハラキリを見せてくれ」
「あの、ですがつまり」
「じゃあな」
 松本首相は切れた電話を前に呆然としていた。やがて深いため息をつくと再び電話を取り上げた。
「あーもしもし松本ですが、杉野森外相おるかね。うん。……あーもしもしわしだ。今あいつから電話があってな、……あいつだよあいつ、あのアホタレデンガク。……そーそー、で、言うに事欠いてハラキリを見せろなんていうんだ。……わしがじゃない。で、君、心当たりあるかね。……あるわけないって、君それでも外務大臣かね。……その通り私は総理大臣だ。……そこをなんとかするのが外務大臣の務めだろうが。……そうだよ私は総理大臣だ。ん、じゃ、そんなわけで」
 二、三日たって、首相官邸を杉野森弥三郎外相が訪れた。
「総理、例の件ですが」
「おお、待ってたんだ」
「これはという男を見つけました。入りたまえ」
 外相に呼ばれるままに入ってきた長身の男、白装束に身を包み、脇差しを腰に差したその着こなしもさることながら顔を見れば男も思わずはっとする、いい男。
「この男が、いま日本で最も美しい切腹をする男です」
「そうか」首相は男の手を何度も握った。「いやあよく来たよく来た。さっそく見せてくれ」
 外相が男に合図した。男は官邸の庭にひらりと舞い降りると、
「ごめん」
 と一声言い放ち脇差しを置き正座して白装束の前をはだけた。
 脇差しに手を掛ける。左手に柄、右手に鞘を持ちそろうりそろりと抜き放つ間からきらりと光る刃。その刃がゆっくりと自らの腹へ向けられる。そして気合一発、
「ふんっ」
 と突き立てた抜身が左から右、男はゆっくりと崩れ落ちた。
 止まった空気を破るかのように首相のため息が洩れた。
「すごいもんだな……」
 庭に降りる外相のことなど目に入らぬかのように、首相はなんどもため息を繰り返した。
「いや、ほんとこれは……実に……いや、杉野森君、すごいよこれは。すごい」
「あの」
「よく見つけてくれた、杉野森君。これはほんとすごい」
「あの、死んでますけど」
「あ?」
 庭では男の横で外相が頭を掻いている。
「死んでますけどって、なんで」
「なんでって……腹を切ったし……」
「あのなあ」松本首相の声が一オクターブ高くなった。「ここで死んじゃなんにもならんだろが、おい」
「いや、でも……ご心配なく」
「恐怖の大王に見せる前に死んでどうすんだよまったく。私ゃいったいどうなるのよ」
「あの、ですから、ご心配なく。こんなこともあろうかと思って」
「思うなっ」
「思いませんでしたけれども、ちゃんと策はございます。お入り」
 外相に呼ばれてもう一人の男が入ってきた。見ればさっきの男に負けず劣らずいい男。
「この男が、いま日本で最も美しい切腹をする男です」
「おい、それはそこで死んでる奴だろ」
「ですから、この男が死んで二番目の男が繰り上がったんです」
「ああ、……まあなんでもいい。もうリハーサルは無しだからな。当日までに段取りを決めておけよっ」

 そしていよいよ恐怖の大王が来日した。
 歓迎式典は途中SPが五、六人首の骨を折った程度であとは滞りなく進んだ。外相はマイクの前に立つと緊張の面もちでしゃべりだした。
「ええ、それでは、ここで大王陛下を歓迎する意味を込めまして、日本の伝統行事でありますハラキリをご覧にかけたいと思います」
 鼓と笛の音が流れた。毛氈を敷き詰めた中、白装束の男がしずしずと歩いて行く。大王に向かい一礼に及ぶと座って短刀の運ばれてくるのを待つ。運ばれてきた短刀をすらりと抜き、前をはだけて位置を確かめるように刃をすべらす。切っ先が白い腹部に赤いしみをつける。そのしみはみるみる装束を染め……男は静かに倒れる。
 鳴りやまない拍手の中、松本首相は大王の顔色をうかがった。よかった。気に入ったようである。首相はほっとすると同時にいままでの疲れが一気に吹き出してくるのを感じた。しかし何はともあれ、これで一つの関門を突破したのだ。首相は今まで手をつけてなかった料理をばりばりと食い始めた。
「あの、総理」
 小声で外相が呼んでいるが口の中に詰め込みすぎて返事が出来ない。
「あの、総理」
「なんだ」やっとこさ飲み込んで首相は答えた。
「大王が、俺にもやらせろと言ってますけど」
 飲み込みかけたものが気管に落ちそうになるのを必死でこらえていると、大王がやってきた。
「へーい、マツモト。すごいじゃねーか、ハラキリ。俺もやってみるぜ」
「いや、しかし、陛下、これはですね、」
「うおーい、カタナの準備はできたか?じゃ、いくぜ」
 大王は毛氈の上にちょこんと座り刀をひっつかむとむんずと自分の腹に突き立て、そのまま動かなくなった。
 杉野森外相がしゃがみこんで大王をつついていたが、立ち上がって頭を掻いた。
「死んでますね」
 頭を抱える松本首相。外相は尋ねた。
「……恐怖の大王って、なんだったんでしょうね」
「俺に聞いても知るかああああああ!!」

[完]


●次の作品  ●Vol.1に戻る  ●大型小説目次に戻る

耳で聞く

アマチュアライターズクラブ選集のページへ

  ぜひご意見・ご感想をお寄せ下さい。

 (ここのボタンを押していただくだけでも結構です)