大型茶道小説

利休の畳

佐野祭


「弥三郎。今日呼んだのは他でもない」
 豊臣秀吉が天下を取り、いくさもしばらく落ち着いたある日、松本喜三郎は家臣の杉野森弥三郎に語りかけた。
「はい」
「うむ。実はこのたび我があるじ織田有楽斎殿が、関白殿下の命により千宗易殿の茶室を作ることになった」
 千宗易とは言うまでもなく、後に千利休と呼ばれることになる茶の湯の開祖である。織田有楽斎は信長の弟で、本能寺の変の後は秀吉に仕えていた。
「茶室……とは?」
「茶の湯をする部屋らしい。そんなわけで我が松本家が有楽斎殿より茶室の畳を用意するお役目を賜ったのだ」
「かしこまりました」弥三郎は平伏した。「宗易殿の茶室にふさわしい畳を、ご用意いたしましょう。で、畳はいかほど必要で。千畳?二千畳?」
「いや」喜三郎はそっけなく言った。「二畳」
「に……二畳?」弥三郎は目を丸くした。「二畳では親子三人寝るのは無理かと」
「いや、別に、親子三人寝なくてもよいのじゃ。茶の湯をするのだからな」
「それにしても狭い」
「うむ、わしも不思議に思って有楽斎殿に聞いてみたのだが、どうも極限まで切り詰められた空間のなんたらというやつらしい」
「かしこまりました」弥三郎は平伏した。「ではこれぞ極限まで切り詰められた空間のなんたらという畳を早速ご用意いたします。では」
「あ、こりゃ、待て」喜三郎は早くも下がりかけた弥三郎を呼び止めた。「その畳だがな、ただの畳ではいかんのだ」
「もちろんただの畳なぞは使いません。金を払います」
「当たり前じゃ。そうではなくて、ちょっと変わった畳なのじゃ」
「と申しますと」
「穴の空いた畳が必要なのだ」
「はあ?そのような欠陥畳を、宗易様にお使いいただくわけには」
「そうではない。ほら、茶の湯となれば湯を沸かすであろう」
「沸かしますな」
「その湯を沸かすための炉を、部屋の一角に作るのじゃ」
「はあ」
「そのための切り欠きじゃ」
「はあ……」
「わかってないな。いいか、茶の湯となれば湯を沸かすであろう」
「沸かしますな」
「そのために部屋の中に炉を作るのだ」
「作りますな」
「部屋の中に炉があると言うことは、その上には畳は置けないであろう」
「置いたら焦げますな」
「だから、その分切り欠きを作った畳を置くのじゃ」
「はあ。なんとなくわかりました」
「わかったか」
「はい。しかしそのような畳は見たことがござらん」
「わしだってないわ。しかしそういう畳をあつらえねばならん。よろしく頼む」
「かしこまりました」

「喜三郎殿」
「うむ」
「さっそくあのあと越後屋を呼びましてくだんの畳あつらえるよう申しつけました」
「うむ、ご苦労」
「で次の日に越後屋が来て申しますには、畳職人に申しつけましたところ切り欠きといってもどのような切り欠きを作るのか、丸いのか四角いのか細長いのか平べったいのか、そこのところがわからないとどうにも作れないとの申しようにございます」
「それもそうだな。畳に炉をつけるのだから、やはり炉の形に穴が空いているのではないか、どうだろう」
「私に聞かれても困ります」
「でも、普通ああいうものは真四角かなにかであろう」
「真四角にしても、その穴が畳のどの辺に空いているのでございますか」
「そうだなあ。では有楽斎殿に聞いて参ろう」
「よろしくお願いいたします」
「弥三郎」
「はっ」
「有楽斎殿が宗易殿に聞いてこられたには、やはり穴は真四角だそうだ」
「なるほど」
「で、畳の右上の隅に空くそうな」
「心得ました。早速越後屋に伝えて参ります」
「よいな、右上の隅だぞ」
「喜三郎殿」
「なんだ」
「越後屋がまた訪ねて参りまして、隅の穴というのは隅ぴったりに作るのか、それとも少し離して作るのかと畳職人から質問があったそうです」
「というと、どういうことじゃ」
「つまり、畳の一つの隅が完全にえぐれた形のものを作るのか、それとも畳はやっぱり長四角で、中に四角の穴が空いたものを作るのかと言う話なのですが」
「ふむ。えぐれた形と言うと、どういう形じゃ」
「えー、例えて言うと、そうですね、煎餅をかじったような形」
「歯形が丸く残るではないか」
「ですから、歯並びが四角い人がいたとして、その人が煎餅をかじったような形」
「なんだかよくわからんが、言いたいことはなんとなくわかった。それとあと一つは」
「えー、例えて言うと、えー、内側から煎餅をかじったような形」
「内側から煎餅がかじれるか」
「まあ、かじれませんが、かじったとして」
「ふむ。ふむ……ああ、なるほど、そういうことか」
「おわかりいただけましたか」
「そりゃあ畳だもの、長四角であろう」
「というと、内側から煎餅をかじったような形」
「じゃないかなあ。と思うよ」
「本当ですか」
「ああ、じゃあ、有楽斎殿に尋ねてみる」
「よろしくお願いいたします」
「弥三郎」
「はい」
「こないだのはわしの間違い。悪かった。やはり、右上がえぐれた形だそうだ」
「といいますと、煎餅を外側からかじった形ですな」
「そう。で、炉の大きさは一尺五寸四方だそうな」
「一尺五寸四方」
「さように越後屋に申し伝えい」
「ははっ」
「喜三郎殿」
「なんだ」
「畳の形の件越後屋に伝えましたところ、これで仕事にとりかかれるとのことでたいそう喜んでおりました」
「うむ。そうか」
「いろいろお手数をおかけいたしました」
「いやいやそなたこそご苦労であった。あとは畳ができるのを待つだけだな」
「まことに」
「喜三郎殿」
「うむ?」
「実はさきほど越後屋が参りまして、畳職人から質問があったそうで」
「うむ」
「畳のへりをどうしようかとの問いかけにございますが」
「へり?」
「つまり普通ですと畳の長い方の二箇所にへりが付くのですが、今回の畳は変形ゆえいかが取り計らいましょうとのことで」
「付ければよいではないか」
「いやそれはもちろん付くのですが、普通の畳ですと縁が四つありますな」
「あるな」
「ところがこの畳は切り欠きがありますから、縁が六つになりますな」
「ん?ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いつ、なるほど」
「で、畳職人の申しますには、へりは畳の目と交わる向きに付けるのだそうです」
「ふむ」
「ですのでこの場合も切り欠きによってできた縁のうち、畳の目と交わる方に付けるのがよろしいのではないかとの話なのですが」
「うむ。それでいいのかなあ」
「いかがでしょう」
「……うむっ」
「はっ」
「有楽斎殿に相談して参る」
「ははっ」
「弥三郎」
「はい」
「有楽斎殿に相談したところ、有楽斎殿も迷っておられた」
「はあ」
「とどのつまり、宗易殿に尋ねてみるとの仰せであった」
「さようですか。では越後屋にそう申して参ります」
「喜三郎殿」
「なんだ」
「越後屋から、例の畳のへりの件はどうなったかとのお尋ねがありましたが」
「おおそれそれ。有楽斎殿に宗易殿の意向を尋ねたところ、宗易殿もそれでよいのではないかとおっしゃっているとのことであった」
「さようですか」
「そのように越後屋に答えてやれ」
「かしこまりました」
「いや、今度こそこれで畳ができるのを待つばかりだな」
「まことに」
 ようやく茶室もできあがりが近づき、いよいよ畳を入れる日になった。
「喜三郎殿、喜三郎殿」
「どうした」
「えらいことです」
「だからどうした」
「畳が入りません」
「なに?」
 大急ぎで茶室に駆けつけてみると、職人が小さなにじり口から畳を入れようと四苦八苦している。
「あの、なんで、この部屋はこんなに入り口が小さいのでしょうか」
「入り口の話なぞ聞いておらんぞ」
「とにかくこれでは畳が入りません」
「ちょっとまて、有楽斎殿に尋ねてくる」
「ははっ」
「あのな、有楽斎殿に聞いたら」
「はっ」
「それが宗易殿おっしゃるところのわびさびだそうだ」
「なんですかそりゃ」
「とにかくなんとしてでも畳を入れろ。えーいそこの障子をはずしてみろ。そしてそのまま斜めに、この際障子の桟の一本や二本壊してもかまわん、後で直しとけ。よしそのまままっすぐ、もう少し右だ、ほら、入ったじゃないか」
「喜三郎殿、畳が入りません」
「入ったじゃないか」
「いえ、床に入りません」
「なにっ?」
 見ると畳の入っていない床には炉が右上に据え付けられており、畳には左上に切り欠きがある。
「これはどうしたことじゃ、あれほど右上を切り欠くのだと申したでは……ちょっとまて、畳ってどっちが上なんだろう……どっちだ。長いほうか、短いほうか」
「さあ」
「それがわからんことには有楽斎殿に報告もできん」
「確認して参りますっ」
「喜三郎殿っ」
「うむっ」
「越後屋を通じて畳屋に確認したところっ」
「うむっ」
「平べったいほうが上だそうです」

[完]


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