大型アニミズム小説

財布の中で

佐野祭


 百二十円の缶コーヒーを買おうと、喜三郎は小銭入れを開けた。
 たちまち財布の中のコインたちが一斉に騒ぎだした。
「私に。今度こそ私に行かせてください」
「私です。私はもう一ヶ月も出番を待ってるんです」
「私だよ。私のほうが長く待ってるよ」
「お前たち、少し静かにせんか」落ち着きはらって言うのは旧五百円玉である。「いちいち争うなみっともない」
「だって、私がこうやって待っている間に隣はもう五回も交代しているんですよ。これって不公平だと思いませんか」
「五回ならまだいいじゃんかよ。俺の隣はもう十回は入れ替わってるぞ」
「やめんかこりゃ」旧五百円玉が言った。「お金というものは、出番が多ければ偉いと言うものではない」
「じゃあ出番がなくてじっとしてるのが偉いのかよ」
「どっちも偉くねえよ」喜三郎がぼそっと言った。
「わしが言いたいのはそういうことではない。お金の価値というのは、出番で決まるもんじゃないんだ」
「じゃあ何かよ、お金の価値は金額で決まるとでも言うのかよ」
「そうなんだけど」喜三郎がぼそっと言った。
「多少高いからっていばるなよ、あん? じゃああんたで家が買えるか? 車が買えるか? 俺たちと大して変わらねえだろよ違うかおらなんか言ってみろよ」
「がらの悪い十円玉だな」旧五百円玉が言った。「このさきいくらでもチャンスはあるんだから焦ることはないと言ってるんだ」
「チャンスチャンスっていままで何度騙されたよ、その言葉に」
「よし、じゃあこうしよう」旧五百円玉が提案した。「一番発行年の古いものから出てゆくというのはどうだ」
「冗談じゃねえよ」今年発行の百円玉が叫んだ。「次から次へと代わりはくるんだから、いつまでたっても出られねえじゃんかよ」
「そうだよ」去年発行の五十円玉が続けた。「だいたい、なんであんたが仕切るんだよ」
「そうだよ」喜三郎がつぶやいた。
「もうこいつとは一緒にやってられません」百円玉が喜三郎に訴えた。「私をここから出してください。さもなきゃ、こいつを追い出してください」
「そうだ、出てけ」賛同の声が次々とあがった。
「そんなこといっても」喜三郎が言った。「この自動販売機、旧五百円玉使えないし」
「ほら。この役立たず。でかい顔してんじゃねえよ」
「一円玉に言われる筋はないわ」旧五百円玉が答えた。「わしが使えないのはな、偽造されやすいからなんだぞ。お前なんか偽造したほうが高くつくじゃないか。いいか。そもそもわしら旧五百円玉が生まれたのはな、昭和57年のことだった。期待の高額貨幣としてまたたく間に日本中に広がり」
「あの」喜三郎が言った。「そろそろコーヒー買いたいんだけど」
「私に。私に行かせてください」
「私です。私はもう一ヶ月も出番を待ってるんです」
「私だよ。私のほうが長く待ってるよ」
「あの」喜三郎が言った。「正直、誰でもいいんだけど」
「そんな無責任な。真剣に考えてください」
「いい加減に選ばれたほうの身にもなってください。あなた、硬貨の気持ちを考えたことがあるんですか」
「ないけどね」喜三郎は答えた。「ないけどね、じゃあ、真面目に考えるよ。コーヒーは百二十円だから、十円玉は二枚しかいないので自動的に決まり、はい。次に百円玉だけど」
「五十円玉でもいいじゃないですか」五十円玉が言った。
「五十円には次にチャンスをやるから、今のところは百円玉、はい。でその百円玉だが……」
 言いながら喜三郎は迷っていた。見れば見るほど財布の中の百円玉たちは同じように見えたからである。
 しかし、ここまできたら理由もなしに一枚を選ぶわけにもいかない。
 喜三郎は言った。
「実は、今日という日は昭和63年に青函トンネルが開通した日なんだよ。君たち百円玉の中に、昭和63年発行の人はいるかな」
「はい」
 一枚の百円玉が元気よく返事をした。
「では、君だ」
 一枚でよかったと思いながら喜三郎はコインを取り上げた。
「短い間でしたがお世話になりました。みなさんもお元気で。またどこかで会うこともあるかもしれませんが、そのときはよろしくお願いします」
「はいはい」
 自動販売機にコインを入れると、コトンと音がして、110円の表示が出た。
「あれ?」
 釣り銭口を開けると、そこには五円玉が戻っていた。
「十円玉だと思ったら」
「私、五円玉ですぅ」
「早く言ってくれよ……しかし、まいったな」
 すでに十円玉はいない。ということはせっかく一枚を選び出したのに、また百円玉の中から一枚を選び出すことになる。それだけではない。どうせお釣りをもらうことになるので、今度は五十円玉にもチャンスがあるのだ。
「実は、今日は平成8年に長野新幹線がオープンした日でもあるんだよ。君たちの中に、平成8年発行の人はいるかな」
 ほんとは長野新幹線のオープンは平成9年で、日付も青函トンネルとは全然違うのだが、喜三郎にとってはどうでもいいことである。
「はい」
「はい」
「はい」
 百円玉二枚に加え、五十円玉まで返事をした。
 しまったと思ったが、喜三郎は気を取り直して言った。
「じゃあ、さっき言ったとおり次は五十円玉にチャンスをってことで、今度は君だ」
 つまみ上げられた五十円玉が挨拶した。
「どうもお世話になりました」
「はいはい」
 喜三郎は五十円玉を入れた。
 160という表示がつき、飲物のランプが一斉に点灯した。喜三郎はコーヒーのボタンを押した。
 チャリンチャリンと音がして、釣り銭口に十円玉が四枚落ちてきた。
「はじめまして。十円玉で、名をアレクサンドロス・ベッケンマイヤーと申します。これからお仲間に加えていただくことになりますが、どうぞよろしくお願いします」
「はじめまして。俺、Toshikiっす」
「はじめまして。高巖院義信と申します」
「鈴木修です」
 新参の十円玉たちを小銭入れに入れて、喜三郎は缶コーヒーを開けた。
(俺、コーヒー買いたかっただけなんだけどな)
 コーヒーは苦かった。喜三郎は小遣い帳を広げ、「コーヒー120円」と書き、出ていったコインたちの名を消し、新しく来た十円玉たちの名前を書き加えた。

[完]


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