大型演劇小説

沙翁の夢

佐野祭


「またおいでくださいまし、またおいでくださいまし」
 木戸口に立つ杉野森弥三郎は出て行く客独り独りに挨拶する。曾祖父の代から営んでいる芝居小屋「三本松座」。町の名前は江戸から東京に変わっても、人々の芝居好きは変わらない。
(客の格好もだいぶ変わってきたな)頭を下げながら弥三郎は考える。(ちょっと前までみんなちょんまげで歩いてたってえのに)
 おおかた客も出ていって、小屋の中にはいるとまだ一人だけ洋装の紳士が座っている。弥三郎は早く追い出して掃除をしようと声をかけた。
「もしもし、お客さん、早いとこお願いします」
 洋装の男はゆっくり振り向いた。
「久しぶりだな、弥三郎さん」
 ぽかんと口を開け、それから……弥三郎は答えた。
「喜三郎さん、……しばらく」
 掃除もそこそこに弥三郎は男を近くの居酒屋へと連れていった。
「喜三郎さん、あんたが舞台に立たなくなってからだいぶたつな」
「ああ、三・四年になるかな」
「あんた今までいったい何してたんだい」
「うん、あたらしい演劇の勉強を、ちょっとね」
「ふーん、あいかわらず研究熱心だねえ」
「いろいろ西洋の芝居について調べてみたんだ。弥三郎さん、シェークスピアをご存知かい」
「せー、……なんだって」
「シェークスピア。英国の有名な台本作者さ。あちらの劇団は、みんなこの人の芝居を掛けている」
「ふーん、近松や南北ってなところかい」
「ふふ、近松も日本では有名だが世界からみれば知ってる奴なんかいやしない。シェークスピアは英国だけじゃない、世界中で上演されているんだ」
「へーえ」
 喜三郎はぐっと身を乗り出した。
「で弥三郎さん、頼みがあるんだが」
「なんでえ改まって」
「シェークスピアの芝居を、三本松座で掛けてみたいんだ」
 弥三郎は危うく猪口を落としそうになった。
「あちらの芝居をかい、……でもそんなもん誰もやったことないし、」
「弥三郎さん」喜三郎はまっすぐ弥三郎を見つめた。「今まで俺はずっと歌舞伎をやってきた、確かに歌舞伎はすばらしい。だが世界にはもっといろんな芝居があるんだ。新しい時代には新しい芝居だ。いつまでも忠臣蔵、勧進帳ではないだろう。人々が変わってゆくなら、芝居も変わってゆかねば」
 弥三郎は考えた。ここ数年すざまじい勢いで西洋の物が入ってきている。洋館、洋書、洋食。それを思えば、芝居とて西洋の芝居が入ってくるのが当然ではないか。それに弥三郎は、この新しい試みを他の小屋に取られるのが癪だった。
「よし、やってみよう」
 喜三郎は大きくうなずいた。
 三本松座の前には「はむれつと・英国の天才ゐりあむ・せーくすぴあ作・松本喜三郎主演・近日初日」と書かれた大きな看板が掛けられ、喜三郎は稽古にとりかかった。
「なんだってね、この芝居は幽霊の芝居だってね」
 幽霊の芝居は昔から三本松座の得意とするところなのだ。弥三郎はうれしそうに楽屋を引っかき回すと、小道具一式を探しだし、稽古場に持ってきて準備させた。
 稽古場では喜三郎扮するハムレットが父王の仇の国王を殺すかどうか悩んでいる。するとふっと明かりが消えて下手から青白い人魂が一つ、二つ。父王の亡霊が頭に三角の布を付け、白い衣装を着て音もなくあらわれる。
「はむれっとー。はーむれっとお」
「ちょっと待ってよ」ハムレットがかつらを脱ぎ捨てた。「弥三郎さん、なんだよ、この幽霊」
「ん?いい幽霊だと思うけどなあ」横でみていた弥三郎が答えた。
「これじゃ四谷怪談だよ、あちらの芝居なんだから幽霊もあちらの格好でなきゃ」
「だって、この格好でなきゃ幽霊だかなんだかわかんねえじゃねえか」
「いいんだよちゃんと幽霊だと台詞でいうんだから。これじゃ変だよ」
「そうはいっても……あっ」
「どうした」
「この幽霊変だ」
「そうだろう、」
「足がある」
「いいの、向こうの幽霊は足があるの」
「そんなこといってお前さん向こうの幽霊見たことあんのかい」
「こっちの幽霊だってねえよ……いいから、ね、弥三郎さん。これは新しい芝居なんだから」
 どうにか弥三郎を納得させて稽古は再開された。父王の亡霊はハムレットに、自分を殺して王位を奪った現国王と裏切り者の王妃を殺して仇を打つよう頼む。真相を知ったハムレットは苦悩する。
「なすべきか、なさざるべきか」
「ちょっと、ちょっと」
「ちょっとなすべきか、いっぱいなすべきか」
「ちょっと、喜三郎さん、ちょっと」
「それが問、あーっもう弥三郎さん稽古中に話しかけないでよ」
「ちょっと、いいから、来てよ」
「なんだよ」
「喜三郎さん、この芝居ダメだよ」
「ダメ?ダメってどういうことだよ」
「どう考えてもおかしいよ」
「おかしいって、何がおかしいんだよ」
「あの幽霊おやじさあ、国王のところになんで自分で化けてでないの」

[完]


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