大型立志伝小説

勝訴の人

佐野祭


 喜三郎は野心に燃えていた。
「俺は絶対、勝訴の人になるんだ」
 勝訴の人とは何か。
 おそらくご覧になったことがあるに違いない。裁判の華と言ってもいいだろう、判決が下るや否や裁判所から脱兎の如く駆け出し、勝訴と書かれた垂れ幕を掲げる人のことである。
 しかし勝訴の人にはどうやったらなれるのか。喜三郎にはまったく見当がつかなかった。
 まずはアルバイト求人誌を隅から隅まで熟読した。世の中には実にいろいろなアルバイトがあるものだということはわかったが、勝訴の人の求人は載ってなかった。
 やはり勝訴の人はアルバイトではできないのであろう。そう思った喜三郎はハローワークに行った。昔で言う職安である。
 ハローワークで勝訴の人になりたいのですがと言うと、職員は怪訝そうな顔をした。繰り返し喜三郎の説明を聞いた後、うちでは勝訴の人の求人は扱ってないと答えた。
「勝訴の人が無理なら、せめて平成の人の口はないでしょうか」
「なんですか平成の人って」
「ほら、亡くなった小渕さんがやってたじゃないですか。平成と書かれたパネルを掲げて」
「ああ、新元号発表。でもあれはそうそうあるもんじゃないですよ。それにまず官房長官にならなきゃできないし、官房長官になったからってできるもんじゃないし」
「きっと今の官房長官も、平成の人になれるんじゃないかってわくわくしてるんでしょうね」
「いや、してないと思うな……たぶん……それよりもなんだっけ、勝訴の人? そっちのほうが可能性あると思いますよ。裁判は毎日開かれてるからね」
 そうか小渕さんってすごかったんだなあと思いながら喜三郎は今の言葉にヒントをつかんでいた。そうだ。裁判の仕事なんだから、裁判所に行けばいいんだ。
 喜三郎はまず近くの地方裁判所に行くことにした。いきなり最高裁に行ってもいいのだが、やはりこういうものは順番があるのであろう。
 地裁に行って受付で勝訴の人の募集はしていないかと尋ねた。受付の係員は一度では話が飲み込めなかったようだが、やっと納得して答えた。
「いや、あれは募集はしてませんよ」
「やはりコネがいるんでしょうか。それとも勝訴の人の子弟に限られるとか。あまり親子で勝訴の人をやっているというのも聞きませんが」
「そういうわけではないです。あれはうちの職員ではないんですよ」
「というと、外部に委託しているわけで。いわゆるアウトソーシングってやつですね」
「ではなくて、原告や被告の関係者がやるんです。弁護団とかね」
「となると、司法試験を通らなければいけないわけですね。難関だな」
「いえ、資格はいりません」
「は? 資格はないんですか?」
「はい、誰でもやって結構です」
「ということは……つまりこういうことですね。野球選手はプロになったら契約金と給料が貰えて一人前として扱われるけれど、プロになれるのはごく一部の選ばれた人たち。相撲部屋は誰でも入門できるけれど、出世しないと給料もなしで部屋に住み込みで関取の付け人暮らし。勝訴の人ってのは、どちらかというと野球選手よりも相撲取りである、と」
「そうなのかなあ」
「よくわかりました、ありがとうございます。今日は裁判はありますか。できれば判決が出るやつ」
 あと一時間ほどで始まると聞いて、喜三郎は教えられたとおりに階段を上って法廷に向かった。
 傍聴席には喜三郎を含め三人しかいなかった。そのうちの一人は八十過ぎたと思われるおばあさんだ。
(この人は勝訴の人ではないだろう)すでにこの裁判には勝訴の人がいるのではないかということが心配だったのだが、おばあさんが法廷の玄関まで駆け出し勝訴の垂れ幕を掲げるのはまだ見たことがなかった。少なくとも現役の勝訴の人ではあるまい。
 もう一人は若い男だった。こいつが勝訴の人ではあるまいかと手元をよく見たが、特にそれらしき垂れ幕も垂れ幕が入るような鞄も持っていない。
 どうやら他に勝訴の人はいなそうである。喜三郎は安心して、常に持ち歩いている勝訴の垂れ幕を取り出した。
 垂れ幕をチェックしていて喜三郎はしまったと思った。まさか今日チャンスがあるとは思わなかったから、「不当判決」の垂れ幕を持ってこなかったのだ。これでは判決の結果によっては垂れ幕の使いようがない。
 喜三郎は自分のうかつさを悔いたが、やがて気がついた。なんだ。別に原告か被告かどっちかが勝訴すればいいんだ。
 そんなことを考えているうちに廷吏が登場し、裁判官の指示に従わないときは退廷を命ずるうんぬんと説明を始めた。そして全員が起立し、裁判官が入廷した。
 裁判官は着席を促し、言った。
「それでは判決を言い渡します。被告は原告に対し、十万円を支払え」
 その言葉を聞き終わるや否や喜三郎は法廷を飛び出し、廊下を疾走し階段を駆け降り、裁判所の玄関を抜けて垂れ幕をかざした。
「勝訴」
 喜三郎の胸に感慨がよぎった。ついに自分は勝訴の人になったのだ。もちろん見守る支援者は誰もおらず、ささやかなものではある。でも最初は誰でもそうだ。今日のこの法廷が、勝訴の人としての第一歩になるのだ。
 そんな思いを太い声が破った。
「膝が足りない」
 喜三郎は振り向いた。
「あなたは」
 そこには長身にテンガロンハットをかぶり、黒のタキシードに足元には運動靴の男が立っていた。
「私の名は」垂れ幕が宙を舞った。「勝訴の人、杉野森弥三郎」
 男が広げた垂れ幕には墨黒々と杉野森弥三郎と染め抜かれていた。
 こののち喜三郎は杉野森の元で修行を積み、やがて勝訴王松本喜三郎と称えられるようになるようになるのですが、そのお話はまたの機会に。

[完]


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