大型高橋小説

高橋

佐野祭


 某日……
「大型小説第四キャラクターオーディション」が行なわれた。
 各地区予選を勝ち抜いた精鋭四十七名の中からさらに勝ち抜いた十名の中から、いよいよ大型小説の登場人物がひとり選ばれようとしている。ここ審査員室では、審査の最終結果がまとまろうとしていた。
「では」審査委員長の松本喜三郎が言った。
「ま、今回はこの高橋ってやつで決まりですね」杉野森弥三郎の発言である。
「このどことなくとぼけたキャラクターといい、ときおりみせる鋭さといい、こういう存在は貴重ですよ」
「それに、どことなく特定の色がないのがいいじゃない」梅田手児奈が相づちを打った。「彼なら、どんなキャラクターでもこなせそうな気がするな」
「それでは」喜三郎が言った。
「発表に移りましょうか」弥三郎はドアをあけて係員に伝えた。
 表彰式の後、三人の控え室に高橋が呼ばれた。
 入ってきた高橋はつとめて笑顔をつくろうとしているが若干緊張の色が見える。
「私が高橋です」
 やはり堅くなっているらしい。
「どうも」喜三郎が言った。
「そんなわけで高橋さん。ぜひ我々と一緒に大型小説をやってほしいんです」弥三郎はにこやかにほほえんだ。
「小説の経験も少しあるんですってね」
「ええ、まあ、ちょい役で」
「それはたのもしい。期待してますよ」
「えーと、名前がタカハシヒロシ。性別男、千葉県出身。タカハシヒロシっていう字はこれでいいのね」
 手児奈は「高橋博」とホワイトボードに書いた。
「ええ。あの、正確に言うと、高橋の高は旧字体です」
「というと、ナベブタの下の口が上下に突き抜けていて」
「ええ、そうです」
「なんかハシゴみたいな字」
「そう、そう」
 手児奈はホワイトボードを書き直した。
「おーい出てこないぞ」新人登場のお知らせを書こうとワープロに向かっていた弥三郎が言った。
「『たかい』で出てこない」手児奈がのぞき込んだ。
「新字体しか出ないよ」
「ふーん。じゃ、『こう』でやってみたら」
「高甲工項候校公光好効講交考香行広後攻巧口功向航孔江弘港硬稿郊頁肯洪孝恒浩厚坑黄宏藁桁鮫釦亙蛤尻幌熊咬肛廣胱膠餃恍崗洸敲鑛……ないね」
「おや」喜三郎が言った。
「部首辞書機能があったはずよ」
「髞。なんて読むんだこの字は」
「わたし、区点コード調べてみる」
「うん。よく使う字だから出てきそうなもんだがな」弥三郎はキーをあれこれガチャガチャ叩き続けた。
「はて」喜三郎が言った。
「ねー。その字、漢字コード表に載ってないよ」
「あら」喜三郎が言った。
「へー。第二水準にもないの」
「うん」
「ありそうなもんだけどな」
「でも」喜三郎が言った。
「困ったね」
「困ったな」
「高橋さん。まことにいいにくいのですが」弥三郎が振り返って言った。「あなたの受賞を取り消さなければなりません」
「えっ」高橋の顔がさっと青ざめた。「な、なぜですか」
「だってねー」
「名前がちゃんと書けないんじゃねー」
「な、なんとかなりませんか」
「そうはいってもねー」
「小説の中でいちいち、
 『その時【「高」の異体字でナベブタの下の口が上下に突き抜けていてなんかハシゴみたいな字】橋はつぶやいた』
 なんて書くわけにいかないじゃん」
「だって」高橋は泣きそうな顔になった。「僕は、ずっとこの名前を使ってきたんだし、いままでだってこの字で困ることなんか」
「気持ちは分かりますけどねー」
「JISにないんじゃねー」
「お願いします。お願いしますっ」高橋は土下座せんばかりに頭を下げた。「JISなんて、たかが十六ビットのコードじゃないですか」
「だけど、そのJISコードにないってことは、そもそもインターネットの世界では存在できないってことだよ」
「そうよ、 橋さん。あら、おかしくなってきちゃった」
「ほら、これがあなたの本当の姿なんですよ、 橋さん。だんだん存在に無理がかかってきた」
「うむ」喜三郎が言った。
「だから悪いことは言わないから、諦めたほうがいいですよ」
「いやです。お願いします。ここにいさせて下さい」
「じゃあ、あなたはここでアイデンティティーを保てるんですか。こんなことをやってても、あなたはある人には○橋かもしれないし、□橋かもしれないんですよ」
「そこまで自分を捨てきれるもんじゃないでしょ」
「そんなんじゃない。そんなんじゃないんです。僕は、ただ、僕は、存在を認めてもらいたいだけです」
「むり」喜三郎が言った。
 その時、 橋の存在が影もなく消えた。

 そんなわけで、大型小説はこれからも三人でやってゆくのであった。

[完]


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