大型歌手小説

鉄橋の歌

佐野祭


♪あなたのいない夜は 独りでお酒を飲みながら
「だめだめ」
 松本喜三郎がピアノの鍵盤を十個いっしょに抑えた。
「テコナだめだよ、口先だけで歌っても。歌はね、心だよ」
 梅田手児奈は、静かにうなだれた。
 手児奈は一応歌手である。「一応」といったのは、まだデビューしていないのだ。幼い頃から歌手になるのが夢だった手児奈は、二年前上京して作曲家の喜三郎の元に弟子入りした。以来、修行を重ね、いくつかのレコード会社から話は来ているのだが、喜三郎はまだデビューにOKしない。「手児奈はまだ歌の心がわかってない」の一点張りなのである。
 いまこうして、うなだれてはみせるけれど手児奈には喜三郎の言う「歌の心」というのが、よくわからないのである。
「あの……」
 手児奈は思い切ってたずねた。
「ん?」
「先生のおっしゃる『歌の心』って、まだよくわからないんです」
 喜三郎はピアノの蓋を閉めた。
「それがわからないうちは、デビューなんてとんでもない話だ」

 アパートへの電車の中で、手児奈はぼんやりと喜三郎の言葉を考えていた。
 歌の心と言うけれど、そんなに違う物なのだろうか。トップ歌手と言われる人たちのステージを見ても、そんなに心がこもっているとかは思わない。何が違うのだろう。
「……シュッポ、シュッポ、シュッポッポ……」
 前の席の子供が歌っている。なんだっけな、この歌。
「ぼくらをのせて、シュッポ、シュッポ、シュッポッポ……」
 汽車ポッポ……って、タイトルでいいんだっけ。それとも単に「汽車」で、いいんだっけ。
「畑もとぶとぶ家もとぶ、はしれ、はしれ、はしれ」
 畑なんてこの辺じゃ見えないだろうな。
「鉄橋だ、鉄橋だ、うれしいな」
 鉄橋だからって何がうれしいんだろう。変な歌。
「鉄橋だ、鉄橋だ、うれしいな」
 手児奈がそんなことを考えているとは知りっこない子供は同じ箇所を何度も繰り返している。
 そういえば電車の響きが変わっている。今ちょうど電車が鉄橋にさしかかっているのだ。
(そ、鉄橋だと音の響きが高くなるんだよね。普段より大きく聞こえるし……子供なんてこんなことでも結構面白いんだろうな)
 手児奈ははっとした。
 そうだ。鉄橋だとうれしいのだ。自分だって子供の頃、そうだったではないか。
 子供のとき電車の窓から景色を見るのが好きだった。似たような町並みが続く。それにアクセントをつけるように大きなビルがある。工場がある。野球場がある。中でも一番のアクセントは鉄橋だった。鉄橋は電車そのものを包み込み、世界が一変する。
 あの時の新鮮な感動を忘れてしまったら、この歌の意味だってわからないではないか。手児奈は初めて気がついた。これが、歌の心だ。
 子供はまだ同じ箇所を繰り返している。手児奈はこの子に感謝したい気持ちでいっぱいになった。手児奈は話しかけた。
「鉄橋ね」
 不審な視線を手児奈に向ける母親にはお構いなく、子供は手児奈に笑いかけた。
「うん、鉄橋大好き」
「ほんと?おねえちゃんも鉄橋大好きなんだ」
 二人は一緒に窓の外を見て、鉄骨の一本一本を目で追った。鉄橋を通り過ぎると、子供は満足したように窓から目を離し、手児奈の方を向いた。
「ねえおねえちゃん、遊ぼうよ」
「うん、なにして遊ぼっか」
「ずいずいずっころばし」
「うん、やろやろ」
 二人は歌いだした。
「ずいずいずっころばし、ごまみそずい」
(そう、これが歌の心なんだわ。ずいずいずっころばすのよ。ただの味噌じゃないのよ。ごまみそよ)
「ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん」
(茶壷に追いかけられたら恐いでしょうね。だからとっぴんしゃん……てのはつまり……とにかく、とっぴんしゃんなのよ)
「ぬけたらどんどこしょ」
(だから、抜けて、抜けるって何を抜けるのかな、えっと、だから、どんどこしょ)
「たわらのねずみがこめくってちゅう」
(これはわかる。昔は鼠もごろごろいて、俵もごろごろあって、米もごろごろはいってて)
「ちゅうちゅうちゅう」
(ちゅうちゅうちゅう)
「おっとつぁんがよんでもおっかさんがよんでもいきっこなしよ」
(そうよ。やっぱり親から自立しないとダメよ)
「いどのまわりでおちゃわんかいたのだーれ」
(書いたのか欠いたのか知らないけど、お茶碗だから欠いたんでしょうね、だから鼠がずいずいすっころばすから、おっかさんが茶壷を呼んで、抜けたら井戸の回りで、どんどこしょで、欠けた茶碗で胡麻味噌おかずに米食って、だから、つまり、その、とっぴんしゃんなのよ)

 こうして手児奈の「歌の心」はずいずいずっころばしの前に敗退した。

[完]


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