大型コーヒー小説

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佐野祭


 自動販売機にコインを入れ、松本喜三郎は缶コーヒーのボタンを押した。
 ドンガラガッシャンという音と共に出てきたコーヒーを左手で取り出し、缶に右手をあてた。缶を上下持ち変えた。同じように右手をあて、怪訝そうな顔をした。
 缶の底を見る。逆手にして、反対側を見る。
「あれ?」

 コーヒーのボタンを押したらお茶が出た四二%、出てこなかった二六%、お釣りが少なかった一二%。三本松コーヒーお客様相談室長杉野森弥三郎は先月分のレポートをまとめていた。
「大変申し訳ありませんでした。お取り換えいたしますので恐れ入りますが着払いで」
 オペレー夕ーの応対する声が聞こえる。最近の傾向としては販売機関係が多く、コーヒー等の飲み物そのものについてのトラブルは減っているようだ。
「あの、室長」
 呼ぶ声に顔を上げるとオペレーターがなにやら困ったような顔をしている。
「いまお客様から、缶コーヒーのどっち側にも飲み口がなかったというお電話がありまして……」
 杉野森は一瞬オペレーターの言っていることが飲み込めなかった。
「両面……つるつる?」
「つるつる」
 長い間お客様相談室をやっているが、こんなトラブルは初めてだ。
「そう……か。いつ製造した物か確認しないとな。問題の缶は送ってもらうようにしたんだろうな」
「それが……」
 オペレーターはうつむいた。
「私が『お取り換えしますので着払いでお送り下さい』と言おうとしたら、今から持っていきますと言って電話を切ってしまって……」
 杉野森は一瞬オペレーターの言っていることが飲み込めなかった。
「今から……来るの?」
「来ます」
「来ますって、その筋の人だったらどうするの、」
「すみませんっ」
「とにかく例のお詫びセット準備して。まったく」
 杉野森は溜息をついたが、すぐに電話を取り上げた。
「はい生産管理部です」
「あー相談室の杉野森ですが。テコナちゃんいる?」
「少々お待ち下さい」
 受話器の向こうのクスクス笑いが保留音に変わった。テコナちゃんといっても、梅田手児奈はれっきとした生産管理部課長なのである。杉野森は彼女がまだ新人の頃から未だにテコナちゃんと呼んでいるのだが、若い課員にしてみれば妙な響きだった。
「はい梅田です」
「あー杉野森ですが。あのさ、両面つるつるのコーヒーがでてきちゃってさ」
「両面つるつるってなんですか」
「タブがどっちにもついてないの」
「そんなものあるわけないでしょう」
「それがあったの。とにかくさ、なんでそんなのが混じったのか調べてよ」
「工程上混じりっこありませんよ。現物はあるんですか」
「現物はね、いま客が持ってくる」
「客が、……持ってくる?」
「そうだよクレームマニアだよきっと。どうせ社長を出せとか言い出すんじゃないの」
「……」
「あんたタブのないコーヒーがあちこちからでてきたらうちは笑いもんだよ」
「とにかく現物見せてください。今から行きますから」
 十分もしないうちに梅田手児奈が資料をいっぱい抱えてやってきた。
「おーご苦労さん」
「杉野森さん、やっぱりタブのない缶なんてできるわけありませんよ」
「付け忘れたんじゃないの」
「あんなもの後から取り付けるわけないじゃないですか。最初からタブ付きの蓋を作っておいて、後からはめるんですよ」
「じゃあ、そのタブ付きの蓋がただの蓋だったんだ」
「だって製缶工場から受け取るときだってチェックしてますし、完成品だって検査しているんですよ」
「でもあれだけいっぱい作ってるんだから、紛れ込まないとも限るまい」
 二人が言い争っているところに受付から電話がかかってきた。
「松本さんという方がお見えですが」
「あー、来たか。応接室にお通して」
 応接室に向かう杉野森を梅田が追いかけた。
「私も行っていいですか」
「いいけどね、余計なこと言うんじゃないよ。クレームに対処するには、丁寧に、しかしきっぱりと、だ」
 応接室にいたのは予想していたよりずっと若い男だった。
「お初にお目にかかります、私お客様相談室の杉野森ともうします」
「あ、どうもはじめまして」
「こちら生産管理を担当してます梅田です」
「梅田ともうします」
「松本っす」
「このたびはご足労をおかけしまして申し訳ありませんでした。商品は早速お取り換えいたします」
「わあ、すみませんわざわざ」
「それからこれはご迷惑をおかけしましたのでお詫びのしるしです。当社のコーヒーの詰め合わせです」
「わお、こんなの貰っちゃっていいんですか。ありがとうございますぅ」
 どうも予想していたのとは雰囲気が違う。
「それでお客様のお買い求めになった品物なのですが」
「あ、これっすか?いやー僕もびっくりしちゃってこんなの初めてだから」
 喜三郎はテーブルに缶を置いた。ラベルが逆さまになっていて、底に製造年月日が刻印されているのが見える。梅田はそれを上下逆にした。反対側もつるんとした金属面であった。
「はあ……」
 梅田はまだ信じられないように缶を何度も逆さまにしている。杉野森にしても見るまでは何かの勘違いではという思いが多少あったのだが。
 杉野森は深々と頭を下げた。あわてて梅田も頭を下げた。
「まことに申し訳ありませんでした。以後このようなことのないように品質管理に努めて参りますので、今後も当社製品をよろしくお願いいたします」
「あ、そーか」
 喜三郎のすっとんきょうな声に二人は顔を上げた。
「缶切り使えばいいんだ」

[完]


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