大型マルチメディア小説

ヤカンでW・A・V

佐野祭


「ねーっ、喜三郎、みてみて」
「なんだ手児奈帰ってたの」
「ほらほら、買っちゃった」
「何これ」
「電子笛ふきケトル」
「電子、……何だって?」
「笛ふきケトル。今すごい人気なんだよ」
「笛ふきケトルって、あのお湯を沸かせばピーと鳴る」
「そう」
「でも、湯沸かしポットは電気代食わないか」
「やだ湯沸かしポットとは違うんだよ。普通にガスコンロで沸かすんだから」
「……手児奈」
「はい」
「これって何に使うんだ」
「ケトルなんだからお湯沸かすに決まってるでしょ。ほら、こないだまでのヤカンうるさかったじゃない」
「ああ、お湯が沸くとピーピーピーピーえらい音たててたな。結局口は開けたままにして使っていた。あれじゃあ単なるヤカンだな」
「そ、その点これは音量の調節がきくんだから。それに音の種類だって選べるんだ」
「ふーん」
「それだけじゃないんだよ。自分で作った音で鳴らすこともできるんだよ」
「へえ、そんなことできるんだ」
「そう、これがパソコンとつなぐケーブルなんだ」
「ヤカンとパソコンを?」
「そ。ほら、こうやってパソコンに通信プログラムインストールしてね……ねー、これってどうするの」
「この『次へ』っての押すんだよ」
「そいでそいで、ここからどうやるの」
「『完了』だよ、『完了』」
「これでいいのか。うん、できたできた。ねえねえ、このケーブルどこにつなぐの」
「ん……ああ、こりゃパソコンの後ろに……と、ケーブルつないだよ」
「はい。通信プログラムを起動します」
「起動しました」
「メニューから『ファイル』の『開く』を選んで、わぶふぁいるを指定します……何ワブファイルって」
「え?ああ、WAVファイルか。音の入ったファイルだよ。はい、選びました」
「送信をクリックしてください」
「送信。通信エラーだって」
「えーどしたの。なになに」
「なんだろうな。232Cの設定が違ってんのかな。えーとこれだ、ボーレート19200bps、8ビットパリティなし、ハードウェアフロー、OK?」
「そんなこと言われたってわかんなあい」
「マニュアル貸してみろいいから。……えーと、あったあったこれだこれ。おかしいなあ、ちゃんとあってるなあ」
「ねえ、喜三郎」
「えーっと『正しく動かないときは』、か。えーっと通信エラーになる。『COMポートの設定はあってますか』あってる。『正しいCOMポートを指定していますか』指定してる」
「喜三郎、これ」
「『ケーブルは正しく入ってますか』ささってる。『ケーブルの反対側もちゃんと入ってますか』」
「喜三郎、ヤカンに刺さってない」
「最初から言いなさい。えらい手間食ったじゃないか……えーと、送信。あ、始まった始まった。OK、送信できたよ」
「わーい、お湯沸かしてみるね」
「ふーん、面白いもんだな。メモリ容量1メガか。結構大きなファイルまで送れるな。オプションの増設メモリで4メガまで増設可か」
「そう、増設メモリも買おうかなって思ったんだけど、まあ最初はいいかなって」
「まあ、使ってみて足りないようだったら買えばいいんじゃない」
「うん、3タイプあってね、これより上のクラスになると最初から4メガついてるの。一番下のやつだと、メモリついてなくて最初から入ってる音だけなんだ。でもそれじゃつまんないでしょ?だからこれにしたんだ」
「ふーん、まあ最初に入ってる音だって何種類かあるんでしょ」
「うん、『峠の我が家』とねえ、『メリーさんの羊』とねえ、あと何だったかな」
「はーちゃんとアンプへの出力端子もついてるんだ。……なかなか沸かないね」
「あ、ごめーん、ついいつもの調子でいっぱい水入れちゃった」
「いいんだよ今はテストなんだから少し入れるだけで」
「そうだよね。ねー、喜三郎」
「ん」
「今どんな音送ったの」
「tada.wav」
「ただわぶ?何それ」
「ほら、windowsが立ち上がるとき音するだろ、ジャジャーンって、あれ」
「ジャジャーンって、あれ?やだ、もうちょっと気の利いたものにしてよ」
「いいじゃない、いかにも『ジャジャーン、沸いたよーん』って感じで」
「だってさ、これからさあ二人でゆっくりお茶を飲もうねとか、一緒に晩御飯だよとか、そういうときにかかるんだよ。ジャジャーンじゃさ、さて仕事始めるかって感じじゃん」
「そうかなあ」
「そうだよ。もっと、ワクワクドキドキの音ってないの」
「ワクワクドキドキねえ」
「ねえ、そのわぶふぁいるっての、自分で作れないの」
「まあ、できなくはないけど」
「だったらほら、もっと楽しい音にしようよ」
「俺は別にジャジャーンでもいいけど」
「だってそんなありきたりの音じゃなくて、もっと自分を表現したいと思わないの」
「別にヤカンで表現したくはない」
「だから表現したいったら大げさだけど、なんつーの、彩り?暮らしの中にさ、わわっ」
「驚いた、結構大きな音だな」
「ほら、これ変だよお」
「確かにジャジャーン、ジャジャーンってしつこいなこれ」
「だからなんか他の音入れようよお」
「いいからまず火を止めてこい。そうねえ、ヤカンの沸く音……ヤカンが沸く……ヤ。カーン……。ヤカ。ンー……」
「何ぶつぶついってんのよ」
「思いつかん」
「ねえねえ、こういうのどうかな。まずね、初めは静かなさざ波のように始まるの」
「ふむ」
「そう、まだ万物の誕生する前の世界ね。それがだんだん激しくなって、海が荒れ狂ってきます」
「ふむふむ」
「荒れ狂って荒れ狂って何もかもを飲み込むように嵐が最高潮に達した、そのとき。一筋の光が射すの」
「ほう」
「その光はゆっくりと拡がってやわらかにカオスを飲み込んでいって、辺り一面をかぐわしい香りが包んで、……で、お茶が沸いたよと」
「なるほどねえ。さざ波が嵐になって、光が射して、かぐわしい香りか」
「どう、こんな感じで」
「で、それってどういう音なんだ」
「それをあなたが作るんじゃない」

[完]


●次の作品  ●Vol.6に戻る  ●大型小説目次に戻る

  ぜひご意見・ご感想をお寄せ下さい。

 (ここのボタンを押していただくだけでも結構です)