大型議論小説

僕は君だけは許せない

佐野祭


 男は空を睨んだ。
「許さん」

 三本松藩家老松本喜三郎邸では、喜三郎がまさに若い娘を押し倒そうとしていた、そのとき。
 どこからともなく笛の音が聞こえてくる。
 帯をあわてて締めなおし喜三郎は叫ぶ。
「者ども、であえ、であえ」
 たちまち般若の男を取り囲む若い者たち。
「誰だ」
 般若の男はゆっくり面を脱ぎ捨てた。
「桃から生まれた桃太郎」
 議論が起こった。要約すると以下の通りである。
・桃が人間を生むというのは変ではないか。
・桃が人間を生むことがない以上、彼の言い方は間違っている。
・しかし桃が人間を生むのを見たことがないからといって、ありえないと決めつける方がおかしいのではないか。
・正しくは「母から生まれた母太郎」と名乗るべきではないか。
・その理論でいくと、桃から生まれた桃太郎の子供は、桃太郎から生まれた桃太郎太郎になる。
・その理論が必ずしも全ての場合に適応できるとは限らないのでは。
・妥協案として「母から生まれた桃太郎」ならば、論理的間違いはない。
「そんなことどうだっていいじゃないか」いらいらしてきた喜三郎が言った。
「納得いきませんよ。私は断固『母から生まれた母太郎』を主張します」
「いや、現実的に考えると『母から生まれた桃太郎』でいくべきです」
「困ったな」喜三郎は桃太郎に話しかけた。
「こんななんだが、どうだろう、そういうことで」
 桃太郎は回りにいた侍を二、三人切り捨てた。
「ひとーつ。人の世生き血をすすり」
 またもや議論が起こった。要約するとこうなる。
・生き血をすするのは道徳に反している。
・世間には海老の踊り食いなどもあり、必ずしも生き血をすすることがすなわち道徳に反した行為だとはいえないのでは。
・踊り食い自体がすでに残酷な行為である。
・踊り食いは古典的な食文化であり、残酷と決めつけるのはどうかと思う。
・問題の本質は踊り食いの残酷性ではない。踊り食いが残酷であろうとなかろうと、生き血をすすることの是非とは何の関係もないではないか。
・そんなことより、さっきの決着がまだついてない。
・先程の話は単に名前だけの問題である。こちらは直接人の生き死にに関わる問題であり、当然重要度はこちらの方が高いと思われる。
・名前だけの問題と言うが、我々武士が最も重んじている家の問題を含んでいる。家を守ることは死よりも重い。
・そのような考え方はこれからの時代になじまない。
・生き血が問題ならば死に血ではどうか。
「あのなあ」喜三郎が割り込んだ。「そんなこと言ってる場合じゃないだろ」
「そうは参りません。武士は名を重んじ、家を重んじ、それに比べれば命の軽きこと羽毛の如しです」
「その考え方は間違ってます。人の命の重さを知ること、それがまず自分の命を投げ出すことの初めの筈です」
「まあ、いろいろあるがな」喜三郎は桃太郎に話しかけた。
「そんなわけで、どうだろう、考えてみてくれんかね」
 桃太郎は回りにいた侍を四、五人切り捨てた。
「ふたーつ。不埒な悪行三昧」
 喜三郎はため息をついた。
「まあ、そういう考え方もあるかなあ」

[完]


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