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大型統計小説
腰に手をあて
佐野祭

「風呂屋で湯上がりに牛乳を飲む人は、腰に手をあてて飲む」というギャグがある。牛乳を持つ側と反対の手を無意識に腰にあてがっている、ということだ。誰が言い出したギャグかわからないが、いるいるそんなやつ、というわけで根強い人気を持つフレーズである。
 私松本喜三郎はかねてよりこのことに疑問を抱いていた。いや、別に否定するつもりはない。というか、否定する根拠も肯定する根拠もないのである。そもそも、銭湯にほとんど行ったことがないのだ。
 生まれたとき既に我が家には風呂があった。その後何度か引っ越しは経験しているが、いずれも風呂つきの家だったので風呂屋に行く機会と言うのがまずない。まるっきり皆無と言うわけではなく、風呂が壊れたときなどに行ってはいるが、そのときはそんなことは意識してなかったので牛乳を飲む人が腰に手をあてていたかどうかなど覚えていない。
 駅のミルクスタンドで牛乳を飲んでいる人は見たことがある。しかし、片手にパンを持っていることが多いせいか、あまり腰に手をあてているのを見たことはない。
 果たして実際にはどのくらいの人が湯上がりに腰に手をあてて牛乳を飲んでいるのか?
 実地に検分せよ。これは学問の基本である。
 そこで私は二十年ぶりくらいに風呂屋に出かけた。
 やはり大きな風呂というのは気持ちがいい。風呂の中で泳ごうか、とも思ったがそれは今回の目的から外れたことなのでさすがに自重した。
 さて風呂から上がり、いよいよ牛乳を飲む人の観察である。私はマッサージ椅子に腰掛けつつ冷蔵庫を見張った。
 ところがである。誰も牛乳を飲まないのである。
 もともと最近では銭湯の利用者は減ってはいるから、そんなに客が多いわけではないにしても、一時間以上見張っていたが誰も飲まない。
 それでは仕方がない。私は自分が牛乳を飲む人になることにした。
 冷蔵庫から白牛乳一本を取り出し、番台で金を払う。左手で牛乳を持ち、ビニールを取って蓋を開ける。
 そのまま牛乳を飲みながら、私は自分の右手がどうなっているかを考えていた。
 しかし、右手がどうなっているかを考えている自分がいる一方で、右手をどうしようか考えている自分がいるのである。ここで手を腰にあてるのは恣意的な気がする。が、あてないというのもそれはそれで恣意的ではないか。私はいまだかつて牛乳を飲むときにこれほど右手を意識したことはない。
 そんなことを考えてるうちに牛乳を飲み終えてしまい、残ったのは疲労感だけだった。やはり、自分で試すのは無理だ。
 あきらめて他人の動作の観察を続けたが、いっこうに牛乳を飲む人は現れない。そうこうしているうちに閉店になってしまった。
 翌日、私は開店と同時に銭湯にいった。銭湯のおやじはのれんを出すとき私が既に並んでいたのでちょっと驚いていたようだが、そんなことで驚いていてはパチンコ屋にはなれない。
 私はおやじに時間制限はあるかと聞いた。銭湯の時間制限など聞いたこともなかったが、これから閉店までねばろうというのであるから一応念のためだ。別にないとのことだったので私は安心して脱衣所で待つことにした。
 おやじにどうして服を脱がないのかと聞かれた。服を脱いだら寒いじゃないかと答えるとおやじはちょっと困った顔をした。服を脱がないとまずいのかと尋ねるといや別にまずくはないがうちも銭湯だからと答える。よくわからない理屈だが、私もおやじと喧嘩しては調査にならないのでとりあえず服を脱ぐことにした。

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