大型天文小説

春分の発見

佐野祭


 五千年前にだって新入社員がいる。
「ようこそヤサブローくん、エジプト王立天文台へ」
 所長のキサブローが挨拶した。
「これから天文台の中を案内しよう。君がこれから実際どういう研究をするのか、ぜひ見てくれたまえ」
 ヤサブローはあたりをキョロキョロ見回しながら所長のあとをついていった。
 さすがに王立天文台の設備は充実している。窓の外には、ピラミッドが冬の長い影を落としているのが見える。
「この部屋が、君の先輩たちがレッスンを受けている部屋だ」
 レッスンというのは天文学の講義かな、とヤサブローが思う間もなく部屋の中からは軽快な歌声と規則正しい手拍子が聞こえてきた。

   ナイルで生まれたから ナイルで生まれたから
   ナイルで生まれたから ワニは今日も口を開く

   ギザギザの背中と ピカピカの尻尾
   バリバリの歯 それだけじゃ足りない
   いつか太陽を飲み込んで いつかナイルを飲み干して
   ワニがワニであるために 生きてくために

 部屋の中では三人の男たちが繰り返し踊りながら歌っている。その前にはスラリとした女性が拍子を刻みながらときどき「テンポキープ」と声を掛けている。その傍らには何やら記録している男たちがいる。
 所長とヤサブローがはいってきたのに気づくと、その女性は傍らの男たちの一人に目で合図した。男は、「交代です」と言って女性に代わって拍子を打ちはじめた。歌っているメンバーは何事もなかったかのようにそのまま歌い続けている。
 交代した女性がヤサブローたちのところにやってくると、所長がヤサブローに紹介した。
「トレーナーのテコナくんだ」
「はじめまして、テコナです」
「ヤサブローと申します。よろしくお願いします」
「ヤサブローくんにも、さっそくレッスンを受けてもらうことになるから、テコナくんみっちりしごいてくれたまえ」
 テコナはちょっと苦笑しながらうなずいた。
「この歌のレッスンはわれわれのカリキュラムの中でもっとも重要なものの一つなのだよ。われわれがこのカリキュラムを導入してから十年以上になるが、研究における成果はまことにめざましいものがあった。一番大事なことがなんだかわかるかね。リズムなんだよ。一人前の研究者になるためにはまずは歌のレッスンを欠かさないことだ」
「あの、所長」
「現在この研究所では三百人の研究員が毎日歌のレッスンに」
「あの所長」
「励んでおる。もちろん、リズム感を養うためにダンスも重要な」
「所長」
「要素だ。常に我々は歌とダンスとペアで……どうかしたかね」
「あの、すみません、一つ質問が」
「言ってごらん」
「なぜ天文台の研究員が歌のレッスンをしなければならないのでしょうか」
「ふむ。それを説明するには、まず、太陽の動きから説明しなければならない」
 所長は傍らの石版に図を描きながら説明をはじめた。
「君も知っての通り、冬は日が短く、夏になるにつれて日が長くなる。そしてある日を境に、また日は短くなり、冬になる。これはわかるな」
「はい」
「長年に渡る研究の末、当天文台ではそのもっとも日が長くなる日をつきとめた。この日は夏至と呼ばれている」
「はい」
「同様にもっとも日が短くなる日、冬至の存在もつきとめた」
「はあ」
「ということはだ。冬至と夏至の間のどこかに、昼と夜の長さがちょうど同じになる日があるのではないか。……これが現在の我々の研究テーマだ。我々はその日を、春分と名付けたよ」
「春分、ですか」
「さよう。夏至と冬至の間にあるのは秋分だな」
 ヤサブローはしばらく考え込んでいたが、まだ納得いかなそうに尋ねた。
「うーん、そういう日があるってのはわかるけれど、その日を見つけて何か役に立つんですか」
「役に立つ、か」所長は笑った。「役には立たないさ。そうやってこの宇宙の仕組みを知る。それがこの天文台なんだ」
「ふーん……」ヤサブローは一瞬納得しかけてあわてて付け足した。「じゃなくて。なぜ、天文台の研究員が歌のレッスンをするか、ということなのです」
「わはは、そうじゃった。つまりな。昼と夜と長さが同じ日を見つけるには、昼と夜の長さを測らなきゃならんだろ」
「はい」
「どうやって?」
 ヤサブローは返答に詰まった。
 そこでなんで返答に詰まるかなと思った人は、現代の感覚に毒されている。この時代、まだ、時計がないのだ。
「我々もその問題に直面したのだよ。そこで編み出されたのが、この方法だ」
 ヤサブローはしばらくポカンとしていたがおずおずと切り出した。
「というと、歌の長さで、時を計るわけで……」
「その通り。さすがは王立天文台の新入社員だ」所長はにこにこと笑った。「テコナくん説明してやってくれたまえ」
「はい。まず、三人一組になって歌って踊るの」

   何を食べて生きてるの 夜はどこで寝るの
   ワニのこと何も 知らない私

   ナイルで生まれたから ナイルで生まれたから
   ナイルで生まれたから ワニは思いきり口を開く

「ずっと続けているとどうしてもテンポが遅くなるから、百番まで歌ったところで一人ずつ交代するの。三人いっぺんに代わるとテンポが代わってしまうから、まず百番の時点で一人」
 床になにやら記録していた男が言った。
「レフトチェンジ」
 そばに控えていた研究生が立ち上がり、左側の男と交代して踊り始めた。
「こうやって前のテンポを持続したまま、百五番の時点でもう一人交代」
 記録係が言った。
「ライトチェンジ」
 別の控えが立ち上がり、右側の男と交代した。
「そして、百十番の時点で最後の一人が交代」
 記録係が言った。
「センターチェンジ」
 別の控えが立ち上がり、真ん中の男と交代した。

   ぐちゃぐちゃな川底 かんかんな日差し
   どろどろの藻 それも悪くはない
   いつか太陽を飲み込んで いつかナイルを飲み干して
   だってワニが西向きゃ 尾も西だから

 交代した男たちは汗を拭いている。記録係が言った。
「ネクストスタンバイ」
 歌い踊る三人の男たちの後ろに別の三人が座る。
「記録係交代します」
「現在まで四百二十回です」
「復唱します。現在まで四百二十回です。お疲れさまでした」
「よろしくお願いします」
 半ば呆然としているヤサブローにテコナが説明した。
「本番ではこれを五チームに別れてやって、一番回数が多いチームと回数が少ないチームの記録を捨てて真ん中三チームの平均をとります。もちろん五チームは相互の影響を受けないように、この天文台の東西南北と中央で別々に演技するの」
「さあ、じゃあその演舞台を案内しよう」
 所長はテコナに軽く礼を言うと、ヤサブローを連れてレッスン室を出た。
「おそらく春分は冬至と夏至の真ん中あたりにあるだろうと我々は考えているが、ちょうど真ん中かどうかは定かでない。そこで我々は、冬至と夏至の真ん中の日を挟んで三十五日間、この記録をとることにしている」
「大変なんですね」
 ヤサブローはしばらく歩きながら考えていた。
「僕まだ納得行かないんですけど、春分ってそうまでして見つけなきゃいけないものなんでしょうか」
「疑問を持つのはいいことだ」所長が言った。「我々もこの研究がすぐに何かの役に立つとか、そういうことを期待しているわけではない。だが、我々は季節の中で生活しているのだ。穀物は実る時期が決まっており、ナイルの氾濫は毎年同じ頃に起こる。この三六五という周期の中に隠されたそのリズムを見つけだすのが我々の役目だ。まずは知ることだ。それが役に立つかどうかを決めるのは」
 所長とヤサブローは演舞台の石段を登った。
「のちの人間だ。百年後かも知れないし、千年後かも知れない。さあ、ここが西の演舞台だ」
 演舞台に立つと、ピラミッドがその影を長く落としているのが見える。
「もう一つのチームではこの影を測っている。いま我々が仮定しているのは、その春分の日には太陽は真東から昇るのではないか、ということだ。その時の影はこの」
 所長はピラミッドを指した。
「真西にできるはずだ」
 冬の日が陰るのは早い。ヤサブローは夕日がピラミッドの向こうに沈んでゆくのを見つめていた。どこからか研究生たちの歌声が聞こえる。

   空に向かって口を開く 河に身を横たえる
   きっといつかは スフィンクス

   ナイルで生まれたから ナイルで生まれたから
   ナイルで生まれたから ワニは思いきり口を開く

 そして、今に至るも春分は何の役にも立ってない。

[完]


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