大型近未来小説「手」

第6回 ピアノには手がいる


  ピアノでは今まで不可能とされていた三十重和音が遂に実現した。しかし、上には上がいるもの。ある新進ピアニストは実に十八本の腕を付けてステージに登場したのである。
「こうすることにより、いかに指を速く動かすかという従来のテクニックは一切不要になります」開演前彼は語った。
「指はあらかじめ八十八の鍵盤すべての上にあるのです。あとはそれを必要に応じて動かすだけです」
 彼は意気揚々とピアノに向かい、華麗に第一楽章を弾き終えた。人々の驚嘆のなか、彼は第二楽章を弾き始めようとしたが、その顔はひきつっていた。
(重い)彼は焦りを隠そうとした。
(いくら何でも十八本は重すぎる。こっ、これ以上腕を支えておれん。だっ、だがここで力を抜くわけにはいかん。そんなことをしたららららら、恐怖の八十八重和音になってしまう。そおんんなあ間抜けなことがでっ、できるかっかっか)
 そんな彼の心の内など知らない聴衆はえらく気迫のこもった舞台だなと思って引き込まれている。
(くっ、くっそお、こんなところでめげたら俺が今まで築き上げた名声はどうなるんだうあうあ)
 やけくその馬鹿力をふりしぼってどうにかこうにか最後まで弾き終わるや否や、御辞儀もそこそこに一目散に舞台から引っ込んだ。鳴りやまないアンコールの拍手。が、彼はなかなか出てこない。
 それでも続くアンコール。拍手がやっと鳴りやんだのは、ピアニストがアコーディオンをかかえて出てきた時だった。

      (続く)

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