INDEXで一言 2000年6月
4日 隠れミキちゃんファン
5日 アイドル不毛の時代

11日 エスカレーターの乗り方
12日 動く歩道の乗り方
18日 太陽党
20日 ラジオ体操の歴史
 
25日 親知らず
26日 歩道橋上のとまれ
 

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2000年6月4日
「実は俺、ミキちゃんのファンだったんだよ」
 という人間が後になってぞろぞろと出てまいりました。私もその一人なんですが。
 何の話だか、ある程度の範囲の年齢の方ならわかるんじゃないかと思います。もちろんキャンディーズの話です。
 ラン(伊藤蘭)の華やかさとスー(田中好子)の愛らしさの陰で藤村美樹は地味な印象を拭えなかったものです。えっ、二人ともおばさん女優じゃないかって。当時はぶりばりのアイドルだったんだよ。えーい最近の若い者はキャンディーズも知らん。
 従って当時男子中学生の間では圧倒的にランとスーを支持する声が高く、ミキ派はその存在を隠すように潜んでいたのです。何も潜まなくてもよさそうなものだけど、潜んじゃったんですね。
 そんなキャンディーズも後楽園球場での涙の解散コンサートで6年間の活動に終止符を打ちました。このコンサートは当時の若者の脳裏に強く焼き付いております。えっ、後楽園球場ってなんだって。東京ドームができる前そういうのがあったんだよ。えーい最近の若い者は後楽園球場も知らん。
 それから十年二十年と月日がたち、同世代の人間が集まり飲み交わすうち誰かがぽつりと冒頭の一言をつぶやきます。
「実は俺、ミキちゃんのファンだったんだよ」
 すると「えっ、お前もか」「俺もなんだ」という声があちこちからあがります。姿を隠していたミキ派が、長い年月を経てその真情を告白するときがきたのです。そしたら意外と多いんですねこれが。
 私もそんな過去があるものですから、ネットを見てて保田圭のファンサイトにでっくわしたりすると妙な親近感があったりします。えっ、保田圭って誰だって。えーい昔の若い者は……。
 日本の標準今回は「『?』の読み方」です。
2000年6月5日
 そんなわけで中学生のときにキャンディーズが解散しまして、たぶん私の世代ってもっともアイドル不毛の高校時代を送ってるんじゃないかと思います。
 山口百恵は既にアイドルというよりはスターと言った方がふさわしく、松田聖子がデビューするのが高校三年のときになります。この間アイドルらしいアイドルといえば石野真子とか榊原郁恵くらいっすかねえ。レコード大賞とかの新人賞も渡辺真知子とか竹内まりやとかその頃の言葉で言うところのニューミュージック系の歌手が中心でしたから。
 他の世代がアイドルグッズを持ち歩いていたであろうその年齢に、我々が何を持っていたかというと「E.YAZAWA」のロゴ入りグッズです。そりゃもう矢沢永吉グッズは当時男子高校生のほとんどが持っていた、というと大げさなんですが、そんなに無茶苦茶大げさでもないんですよ。
2000年6月11日
 エスカレーターの乗り方には地域差があります。
 東京近郊ではじっと立って乗る人はエスカレーターの左側に立ち、右側は歩く人のために空けておく。大阪や仙台ではこれが逆になり、右側に立って左側を空けることになります。
 しかし、大阪や仙台でも東京同様に右側を空けることの多い場所があるのです。新幹線の東京方面行きホームへのエスカレーターなんですね。やはり東京へ帰って行く人が多いからでしょうか。大阪・仙台から行く人も多いはずなんですけど。
 新幹線もちょっと関係します。日本の標準今回は「次と今度の順序」です。
2000年6月12日
 動く歩道の乗り方にも地域差があります。
 東京近郊ではじっと立って乗る人が半分くらいいる。これが関西に行くと動いている歩道の上をさらに歩くのが普通になります。
 私関東出身ですがこれに関しては関西式を支持します。ほら、動く歩道ってそんな高速なものじゃないじゃないですか。普通に歩くのの半分以下のスピードですよね。普段そこまで低速な移動を他で経験しないもので、すごい違和感があるんですよ。
 しかし最近関西でも結構立ち止まってる人いるみたい。地域差がなくなりつつあるのかなあ。
屋根の上の新聞読み」に「ハイジャックの語源」を追加しました。
2000年6月18日
 ついさきごろ出張に行ったとある町でのことです。
 そこの町でもご多分に漏れず、選挙ポスターの花盛りでした。ふと見ると、羽田孜がマイクを握っている写真のポスターがある。
 その町は羽田孜の選挙区ではありませんでしたから、当然党のポスターなわけです。へー鳩山さんじゃなくて羽田さんか、民主党も変わったことするなと思ってみているとどうもそのポスターやけに色あせている。ポスターに書かれた党名を読んで愕然としました。
「太陽党」
……あのう、みなさん、覚えてます? 新進党が解散して現在の民主党ができるまでのごく短い間に存在した政党です。羽田孜が党首だったことは確かですが、他に誰がいたのかよく覚えてません。
 てなわけでそのポスターをご覧になった方は注意してください。太陽党に入れると無効票になります。
 さて、この時期は新聞を読むにも気をつけてめくらないといきなり小沢一郎のどアップが出てくるので注意しなければなりません。「屋根の上の新聞読み」に「水素ビールを巡る報道」を追加しました。日本の標準今回は「誕生日がうれしかった頃」です。
2000年6月20日
 おたよりです。

小悪魔リルルさんからのお便り

だんな。ちょっとしたネタなんでげす。

 へっへっへ、だんな、あんたも物好きだね。
 大型スポーツ小説「腕を大きく挙げて背伸びの運動」に連動したネタなんですがね。実は、ラジオ体操には、第3があったそうなんですぜ。
 へい。そりゃあ、確実なネタでさあ。でも、表世界には出てこないでやしょ?
 某局の地下施設に、厳重に封印されているんじゃないかと、あっしは思うわけでげすよ。
 ま、あっしは、ラジオ体操は、第2まででいいんじゃないかと思うんでげすが、しかしですよ、だんな。
 ラジオ体操の第1と第2のあいだに、よく、別な体操が入るでげしょ。あれが、もしかすると、ラジオ体操第3の片鱗なんじゃないかと、あっしは睨んでいるんでげす。
 それから、だんな。
 今のラジオ体操を廃止して、新しいラジオ体操を作ろうじゃないかという動きが、某局にあるらしいんでげす。
 だから、あっしは、ラジオ体操競技に、新しい部門が設立されるんじゃないかと思っているわけでげすが、だんなはどう思いやす?
 えーとこれは既にできたんじゃなかったかな。第一第二は廃止になってないけど。「みんなの体操」とかいうやつ。
 このページに寄りますと、ラジオ体操第三とは「大日本国民体操」と呼ばれていたものが改称されたようですね(この名前で時代は分かると思うが)。それが何でなくなったかというと、GHQの意向でラジオ体操自体が一時期なくなったみたいです。その後第一と第二はできたんだけど(戦前のものと同じかどうかよく分かりません)、第三まではできなかったようで。
 猫になれに3猫追加しました。
2000年6月25日
 こないだから親知らずが痛んでおりまして。
 いや、一応医者にはいったんですけどね。あれ、腫れているときは抜くわけにいかなくてね。  てなわけで頭が多少ボーっとしております。物事を変だと思う力が弱っている。スポーツ新聞を見ていて「V川崎武田、パラノイアへ」と書いてある。ふーん、武田修宏も昔は活躍してたんだけどなあと思ってよく読むと「パラグアイへ」だったりする。武田の昔を懐かしむ前にまず変だと思いなさい。
 あるいは、「7月からの新ドラマ、剛&広末」と書いてあるのを見てふーん、剛竜馬と広末涼子かと思ったりする。剛竜馬が誰かというのを説明すると長くなるので知らない人は各自調べて欲しいんですが、そんなわけで堂本に決まっておるというのに気がつくのに時間がかかるわけです。
 てなわけで日本の標準今回は「へそのごまをとると」です。
2000年6月26日
 足下に「とまれ」と書いてあったのです。
 そのこと自体は別に珍しいことではありません。よく見る風景です。違っていたのはその字がとても汚くて、とても道路標識とは思えなかったことです。さらに違っていたのが、それが歩道橋の上だったことです。
 なんで「とまれ」と書いてあるんだろうと思いながら歩いて行くと、歩道橋を渡りきったところに白ペンキをこぼした跡がある。どうも、何者かがペンキを持って歩道橋に登って「とまれ」と落書きしたらしい。
 となるとこの人の心理が急に気になりましてね。この人、たまたまペンキを持って歩道橋を渡っていて、ここに「とまれ」と書いたら面白いぞと思って書いたのか。私の勝手な想像ですがどうも違うんじゃないかと思います。この人、最初から歩道橋の上に「とまれ」と書いてあったら面白いんじゃないかという目的意識をもって、ペンキを準備して登ったんじゃないかと。
 ただ、そこまでやるならきちんと文字のワクも用意した上で書くべきでしたね。
屋根の上の新聞読み」に「なぜ弁当へ急ぐ」を追加しました。